ありがとうコミック のこちゃん完結編
「喜びの爆発」
近くて、近いぞ、台湾
三重県津市 赤塚高仁さまより
台北から華蓮まで三時間、列車に揺られながら、車窓を流れる風景を
眺めていた。台湾では、自動車は道路の右側を走る。しかし、鉄道は
左側通行。不思議に思ってガイドの謝さんに聞いてみた。
謝さんは、日本語の堪能な独身女性。彼女は流暢な日本語でこう答えた。
「日本が台湾を統治していたときに鉄道を敷いてくれたのです。だか
ら、日本と同じ左側通行なのです。」
「敷いてくれた?」私は聞き返した。
「鉄道だけではありません。治水工事、電気の普及、上下水道の整備
など、近代台湾のインフラ作りのほとんどが日本統治時代になされ
ています。」
すこしずつ
一緒に仕事を始めた第2創業時。
おじいちゃん(父)は今の私の年齢だった。
50-60キロもする鉄板を毎日毎日
3-4トンは移動した。
手で。
もうその年になるまでの15年間くらいは
重いものは持っていなかっただろうに。
始めた頃は、あちらが痛いこちらが痛いと
言っていたっけ。
でも第2創業。
将来を夢見て、そして自分の城、祖父の城の復活が
喜びと力になったのだろうか。
張り切っていた毎日だった。
剣 山
1994年7月16日。K女史・M氏と共に名古屋空港を発つ。
M氏の切符は高知行き。K女史と二人の切符は高松行き。
出発直前にそのことに気づき二人にあわせて、M氏は高松行きに切り替える。
高松空港着。待ち合わせ時間に誰もみえない。
携帯にて企画者の高根女史に連絡をとる。
高知が待ち合わせ場所だった。
今日は全員で空海悟りの地、室戸岬を訪ねる予定だった。
我々は電車を乗り継ぎ、タクシーに乗り、メンバーと出逢うべく高松を発つ。
連絡をとりながらだがなかなか逢えない。途中の小さな駅近くでやっと出逢う。
一路、剣山近くの宿へ、桂橋近くのお宿到着。なんと二十才の頃キャンプした河原の前の宿だった。
応援しちゃうよ!プライナスライブ「名古屋八縁伝」
☆プライナス特別ライブ 「名古屋八縁伝」について
12月26日(日)午後1時からと午後6時から
場所 ちくさ座(千種文化小劇場)
デヴュー前から伊路波村と御縁が深いポップスバンドのプライナス。
今年の1月23日、インディーズデヴューをはたしてから、
一年の歳月が流れようとしています。
突然 特別ライブをやると夏に聞いてから、
彼らは昼夜を問わず準備しているようです。
プライナスクルーなるプライナスを取り巻く人々が、
ほとんどまったく奉仕の精神で集い、このことを企画しました。
元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)天空から呼びかけるもの
日本三景「天の橋立」を自転車で15分程対岸に向かうと
元伊勢籠神社(もといせこのじんじゃ)がある。
境内を抜け、左に向かうと有名な逆さに天の橋立を観る高
台がある。大抵の方はそちらにむかうが、左にむかわず右
に曲がる。
5分程歩くとユースホステルの入り口にあたる。石の鳥居
が立っている。左方山の手を歩くと、右にユースホステル
があってしばらくで行き止まり。天の眞名井神社(籠神社
の奥宮)である。
ティアワナコ遺跡・ボリビア
秋が行く
休日の朝。
駐車する路上への道すがら、
葉っぱが抜け落ちた銀杏の木を
車内から見上げる。
きれいだなあーーー。