もうすぐだね。と毎年いいながら10年が経った。
何がもうすぐとは言わない。(笑)
聴く人はもうすぐ事業が隆盛するんだ。
もうすぐ利益があがるんだって勘違い。
ほんとはもうすぐ圧倒的に気楽な人が増えるってこと。(笑)
水先案内人
人の一生はたくさんの体験に満ちています。好きなことができずに歯を
くいしばっている人。毎日を耀いて生きてみえる方。さまざまな周囲の
環境が貴重な体験を呼び寄せます。そして人間としての意識が最も体
験を引き寄せる大きな力だといえるかもわかりません。
時代が激動し、周囲の環境が激変しようとも、己の意識がそれを「ケセ
ラ・セラ」と言わせる強いものであったら、これから訪れるすべてのこと
を、「ありがとうございます」と迎えることができるのでしょうか。
新二十四節気 「大雪」 師走七日
NEVER MIND
★プライナス ヒロ
NEVER MIND
見失ってしまったんだ 自分らしさってヤツを
揺るぎない時間なんて感じる余裕も無くて
許し難い真実を 笑って上手く聞けなくて
無償の愛なんだよって ため息をこぼしたんだ
善人意識背負って 感情押し殺して 全てを許せなんて 罪だろ?
宮沢賢治記念館
今はもうないポケベルの代理店会で東北を旅させていただいた。
もう10年も前になるだろうか。
ゴルフをした。高村光太郎の元住み家を訪れ、智恵子抄の源流を
感じた。そして宮沢賢治記念館へ。
ありがとうコミック 「喜びの爆発」
ありがとうコミック のこちゃん完結編
「喜びの爆発」
近くて、近いぞ、台湾
三重県津市 赤塚高仁さまより
台北から華蓮まで三時間、列車に揺られながら、車窓を流れる風景を
眺めていた。台湾では、自動車は道路の右側を走る。しかし、鉄道は
左側通行。不思議に思ってガイドの謝さんに聞いてみた。
謝さんは、日本語の堪能な独身女性。彼女は流暢な日本語でこう答えた。
「日本が台湾を統治していたときに鉄道を敷いてくれたのです。だか
ら、日本と同じ左側通行なのです。」
「敷いてくれた?」私は聞き返した。
「鉄道だけではありません。治水工事、電気の普及、上下水道の整備
など、近代台湾のインフラ作りのほとんどが日本統治時代になされ
ています。」
すこしずつ
一緒に仕事を始めた第2創業時。
おじいちゃん(父)は今の私の年齢だった。
50-60キロもする鉄板を毎日毎日
3-4トンは移動した。
手で。
もうその年になるまでの15年間くらいは
重いものは持っていなかっただろうに。
始めた頃は、あちらが痛いこちらが痛いと
言っていたっけ。
でも第2創業。
将来を夢見て、そして自分の城、祖父の城の復活が
喜びと力になったのだろうか。
張り切っていた毎日だった。