2548「イエスの魂」2021.12.16 自分で自分を自分するから
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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月11日の記事を紹介します。
「イエスの魂」
さて早くも師走12月。怒涛の年も最後の月です。
世の中は急速に変化し続け、神さまと、悪魔的な存在とのせめぎあいも続いているようです。
今日はせっかく12月、クイリスマスの月ですからイエスの魂の遍歴について、物語(フィクション)を載せようと思います。
日本とユダヤのハーモニー 「日本人の起源」 3
再録 奇跡の道 その120~癒しにおける、言葉の役割は何か

「癒しにおける、言葉の役割は何か」
厳密には、言葉は癒しにおいてまったく何の役割も果たさない。
言葉というものは、分離した心が自らを
分離の幻想の中にとどめておくために
作り出したものだからですね。
衷心(こころ)の祈りは実際には具象的な
ものごとを求めているわけではないようです。
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日本とユダヤのハーモニー 「日本人の起源」 2
森信三先生の言葉 21~「世の中に両方良いことはない」・・
「世の中に両方良いことはない」つまりすべては一長一短だということで、この点が真にわかったら宗教はいらぬともいえましょう。ところが大抵の人は何とかして両方とも良いようにしようともがくわけです。どちらか一方を思い切って断念するか、それとも両方基準を下げて調節するしかないと落ち着けないでしょう。
〇
真にすぐれた師というものは、門弟たちを遇するのに、単なる門弟扱いをしないものです。すなわち卓れた師というものは、つねにその門弟の人々を、共に歩むものとして扱って、決して相手を見下ろすということをしないものであります。
それは同じ道を数歩遅れてくる者という考えがその根底にあるからです。
〇
そのそも人がその言葉を慎み、一つの行をもおろそかにしないということは、その根本においてその人が、この人生に対して志すところが高く、かつ深いところから発するのだと云えましょう。何故わたしたちは、一見些細とも見える自分の一言一行を慎まねばならぬのでしょうか。これ実に内に偉大なる志を蔵する故だといってよいでしょう。
〇
わたくしのやり方はすべてマンダラ方式です。いわば具体的な多中心主義ともいえますかね。そしてその多中心が、またお互い繋がり合っているわけです。つまり単なる中心集中主義ではないのです。これが「開かれたるコンミューンへ」ともなるわけです。つまり具体的な動的多元論ですね。
2547「動物と人間の関わり」2021.12.15 自分で自分を自分するから
https://tenmei999.blogspot.com/2021/12/254720211215.html
今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年12月09日の記事を紹介します。
「動物と人間の関わり」
今日は、犬や猫など動物と人間との関わりについてです。
下記の映像で6歳の神様(山幸彦)トキ君がお話しています。
動物のお話は、3分20秒くらいからです。
この中でこんなお話がありました。(一部補足含む)
再録 奇跡の道 その121~輪廻転生はあるか
「輪廻転生はあるか」
究極的な意味では、輪廻転生は不可能ですね。
なぜなら、過去も未来も存在しないのだから、
一度であろうと、何度も繰り返しであおうと、
肉体として生まれてくるという概念には
何の意味もありませんね。
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