「世の中に両方良いことはない」つまりすべては一長一短だということで、この点が真にわかったら宗教はいらぬともいえましょう。ところが大抵の人は何とかして両方とも良いようにしようともがくわけです。どちらか一方を思い切って断念するか、それとも両方基準を下げて調節するしかないと落ち着けないでしょう。
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真にすぐれた師というものは、門弟たちを遇するのに、単なる門弟扱いをしないものです。すなわち卓れた師というものは、つねにその門弟の人々を、共に歩むものとして扱って、決して相手を見下ろすということをしないものであります。
それは同じ道を数歩遅れてくる者という考えがその根底にあるからです。
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そのそも人がその言葉を慎み、一つの行をもおろそかにしないということは、その根本においてその人が、この人生に対して志すところが高く、かつ深いところから発するのだと云えましょう。何故わたしたちは、一見些細とも見える自分の一言一行を慎まねばならぬのでしょうか。これ実に内に偉大なる志を蔵する故だといってよいでしょう。
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わたくしのやり方はすべてマンダラ方式です。いわば具体的な多中心主義ともいえますかね。そしてその多中心が、またお互い繋がり合っているわけです。つまり単なる中心集中主義ではないのです。これが「開かれたるコンミューンへ」ともなるわけです。つまり具体的な動的多元論ですね。