随想 伊路波村から55~永遠の汀(なぎさ)に立ちて

毎月横浜から送られてくる「生命の光」ですが
もう15年近く読ませていただいてます。

イスラエルへのたびの後、知人となった方からの
贈呈が毎月あるのです。

幕屋ですから、神はどこにでもあって幕を張れば
そこに神が降り立つと考えるらしいのですが。
教会を持たず旧約新約聖書を学んでいく集団です。
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この道へ その5 「ネットを基盤に」

こうして書かせていただくと、なんだか「人間とは何か」からは
しだいに遠く離れて行ったかに感じるかもしれないけれど、
そうでもない。
現実からそんなに離れることを望まず、
常に地に足をつけて歩まなければと自戒しきりだったから、
あまりに怪しいものからは遠ざかってはいたけれど、
平成5年から続いている会はいまだに参加させて
いただいている。
それは「冠之会」という。
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随想 伊路波村から56~シーター波

昨夜映っていたテレビでシーター波のことを言っていました。
「ためしてがってん」です。

瞑想すると脳からシーター波が出て精神の安定につながり
痴呆も改善するというお話です。

政木和三博士のことを思いだしていました。
もう20年を超える以前のこと。
名古屋に月に一度みえて、駅前のビルで講演がありました。

「人生の目的は他人の役に立つこと」
明確な理念でした。

政木博士は能力開発に右と左の音をわずかにずらした
うなり音がでる機器を発明していました。

それをつけていると記憶力がついたり、健康になったり、
またシーター波が出て願望の実現スピードが速くなりますと
言われました。

やはり政木博士も「思っていることは実現する」と
明確です。

シーター波は夢を見ているときとか、寝入りばなに脳に発現する
脳波のサイクルの少ないゆったりとしたものです。
アルファ波よりもサイクルが半分ほどです。
もっとゆっくりだとデルタ波。
シーター波やデルタ波の状態に脳があると、
思っていることの実現スピードが速いようなのです。

そのシーター波を発現させるのに有効なのが瞑想。

瞑想によってご老人の痴呆性が改善された実例が放送されました。

最近のメディアの傾向は薬などに頼らずさまざまな
方法で健康になる実例を紹介することが多くなっているようです。
そして不思議と手術を回避したり、薬はなるべく飲まないようにと、
今までタブーとされてきたようなことをはっきりと主張しています。

なにか世の中の大きな力の均衡が崩れてきていることが予想されます。

この政木博士のソウルメイト(半身)と言われていたのが
昨日話題にさせていただいたGLAの高橋信次さんでした。
連日不思議な縁の話題が続いています。

☆一時社会問題化しました政木博士発明の神経波磁力線は
 ドイツでは医療保険可能な機器に認定されました。

 問題になった当時でも、機器の実際の使用者の方から
 癌に有効であったことが数々報告されていました。

 今考えて見ますと、神経波磁力線の機器を体にあてるということは、
 N極S極逆転させる交流磁力線で体内の血流圧(内圧)を高め
 体外からエネルギーを吸引し肉体の酸欠を改善することになり、
 しごくまっとうなことと納得できました。

 今さらながらの気づきです。

この道へ その6 「DDNとありがとうおじさん」

同志で作りあげる自前のインターネット電話局網が
もろくも崩れ去ったあとは、動物占いやグルメナビの組織から
お話が持ち上がったが、いずれもその気がでない。

ただ農協の特販部のような会社からの紹介があった
突然変異のクロレラ「桃太郎」だけはモノとして
取り扱わせていただいた最初となった。
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随想 伊路波村から58~電池の発達と文明

15年前、若鯱だったかどこか忘れたけれど、
講演会を主催させていただいて、
そのテーマが「電池の発達と文明」でした。

その先生は歴史を見ると
電池の発達と文明の進歩は
間違いなく相関関係にあることを
力説してみえました。
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随想 伊路波村から59~ミスターなんとかさんとあんでるせん

今日銀行周りをする車内で、社員さんが
昨夜のミスターなんとかさんのテレビでの
話をしました。

ミスターなんとかさんが超能力なんかない、
すべて種がありますと、自分のマジックを
断言したようです。

以前、幾度も訪れた長崎川棚駅前の喫茶店「あんでるせん」には
過去なんとかさんもおいでになりました。
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この道へ その7 「時が来た」

活動はS先生やAおじさんの影響か、多くの参加者を
巻き込んでいったのだが、活動の中心となる電話事業
そのものに魅力がなくなってしまった。

魅力といっても経済的な成功の魅力なのだが、
そのようなことは初めから眼中にはない。
経済ならば本業に力を注げばよいのだから。
いよいよ実際に放送局への道を模索する「時が来た」と感じた。
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