「どの(教えて学ぶ状況)もそれぞれに異なる関係から始まる。
究極のゴールとは常に同じである。すなわち、その関係を、
両者が共に神の子を罪なき者として見ることができる
神聖な関係とすることである。」
出会いによる救済に偶然はなく、出会うべき者たちは
出会うことになる。
なぜなら、一緒であれば、彼らに神聖な可能性があるからである。
彼らは互いに出会う用意ができている。
“再録 奇跡の道 その104~どの(教えて学ぶ状況)もそれぞれに異なる関係から・・・” の続きを読む

再生大和 霞の中にて活動する
「どの(教えて学ぶ状況)もそれぞれに異なる関係から始まる。
究極のゴールとは常に同じである。すなわち、その関係を、
両者が共に神の子を罪なき者として見ることができる
神聖な関係とすることである。」
出会いによる救済に偶然はなく、出会うべき者たちは
出会うことになる。
なぜなら、一緒であれば、彼らに神聖な可能性があるからである。
彼らは互いに出会う用意ができている。
“再録 奇跡の道 その104~どの(教えて学ぶ状況)もそれぞれに異なる関係から・・・” の続きを読む
精神というものは、それが真に伸びるためには、
必ず何らかの意味において、一種の否定を
通らねばなりません。この否定という浄化作用、
すなわち自己反省というものを通らずに
伸びたのは、精神としては、真に伸びた
のではなて、かえって度の過ぎたものとして、
結局欠点となるわけです。すなわち、人間の
性格上の問題としては、自分の欠点を反省して
これを除くという努力が、じつはそのまま
長所を伸ばすことになるわけです。

人生を深く生きるということは、
自分の悩みや苦しみの意味を深く
噛みしめることによって、かような
苦しみは、必ずしも自分一人だけのもの
ではなくて、多くの人々がひとしく
悩み苦しみつつあるのだ、ということが
解るようになることではないかと
思うのです。
“森信三先生の言葉 6~人生を深く生きるということは・・” の続きを読む
「癒しには、病気という幻想が何のためのものかに
ついての理解が伴う。これがなければ癒しは不可能である。」
病気自体は一つの選択であって、決断でもありますね。
苦しんでいる人が、もはや苦痛には何の価値も
見なくなった瞬間に、癒しが達成されるようです。
まさか。?
でしょうか、?
“再録 奇跡の道 その106~癒しには、病気という幻想が・・” の続きを読む

すべて物事は、最上のものは一歩を誤れば、
最下に堕するのが常です。
これは二階へ上がる梯子は、一段目から
落ちたのでは何でもないが、一番上の段から
落ちたら大けがをするのと同じようなものです。
同時にまた、外面的には最下と見えるものの中にも、
内面的には、最高の意義の宿されている場合が
少なくないのです。かくして諸君の前に
置かれている分岐点は、名実共に最下なる
ものに宿るか、それとも最下なるものを
通して人生の最高処に到るか、その何れか
だといってよいでしょう。
〇
一人の卓れた人格というものは、決して
“森信三先生の言葉 7~すべて物事は、最上のものは一歩を・・・” の続きを読む

一生を真に充実して生きる道は、結局「今日」と
いう一日を真に充実して生きる外ないでしょう。
実さい一日が一生の縮図です。
われわれに一日という日が与えられ、そこに
昼夜があるということは、二度と繰り返すことの
ないこの人生という流れの中にあるわたしたちを
憐れんで、神がその縮図を誰にもよくわかる
ように示されつつあるものといえましょう。
“森信三先生の言葉 8~一生を真に充実して生きる道は・・・” の続きを読む
「癒されるためには患者が自分の心を変えなければ
ならないというのなら、神の教師は何をするのだろう。」
患者当人の心を当人に代わって変えられるだろうか。
当然にそれはできない。
「すでに自分の心を変えようとする意欲がある者に
対しては、神の教師の機能は、ただ彼らとともに
喜ぶだけである。」
彼らも彼と一緒に神の教師になったからですね。
“再録 奇跡の道 その107~癒されるためには患者が自分の心を・・” の続きを読む