2522「国譲りの真実」 2021.11.20 自分で自分を自分するから

今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2021年11月13日の記事を紹介します。

https://tenmei999.blogspot.com/2021/11/2522-20211120.html

「国譲りの真実」

日本神話を読んだ人は、国譲りについて、少なからずモヤモヤを持つかもしれません。

それは大国主命が、精魂込めて作り上げた人々が助け合い、笑い合う、美しい国、

豊葦原水穂国(とよあしはらのみずほのくに=日本)をアマテラスが高天原から見下ろし、

その国を、孫である「ニニギノミコトに譲れ・・・」
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ラマナ・マハルシの教え「私は誰か」 26 無欲と智慧には・・・

26・無欲と智慧にはどんな関係があるのでしょうか?

 無欲が智慧である。二つは別のものではない。
それは同じである。無欲とは、心がどのような
対象物に向かうことも差しひかえることである。
智慧とは対象物が現れないことを意味している。
別の言い方をすれば、自己以外の何ものも
求めぬことが無執着、あるいは無欲であり、
自己をけっして離れないことが智慧である。

ラマナ・マハルシとの対話(TALKS)より 29 ある帰依者が・・

ある帰依者がシュリー・ヴァカヴァーンに尋ねた
「各想念ごとに主体と対象が現れては消え去ります。
主体が消え去った時「私」も消え去るのでしょうか?
もしそうなら、どのように「私」の探究を進めれば
よいのでしょうか?」
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ラマナ・マハルシとの対話(TALKS)より 30 真我は・・

質問者

真我は「聞く者、考える者、知る者」などと描写されますが、その後で再び「聞く者ではなく、考える者ではなく、知る者でもない」と描写されます。
そうなのでしょうか?

マハルシ

その通りです。
一般の人は知性(ヴィジニャーナマヤ・コーシャ)の中に変化が現れたときに自分自身に気づきます。そのような変化は現れては消え去る一時的なものです。それゆえ、知性(ヴィージニャーナマヤ)は鞘(さや・コーシャ)と呼ばれるのです。
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