
わたくしの宗教はある意味では
「拝花宗」ともいえましょう。
ある冬のこと鉢植えの梅の木に
一輪の白い花が咲いたのを見て、
思わず合掌しましたが、全く初めての
体験です。道元の「正法眼蔵」に「精華」
という章がありますが、日本人にとって
宇宙的生命を端的に納得領解しやすいのは、
花であり、ついでは山河自然なのでしょう。

再生大和 霞の中にて活動する

わたくしの宗教はある意味では
「拝花宗」ともいえましょう。
ある冬のこと鉢植えの梅の木に
一輪の白い花が咲いたのを見て、
思わず合掌しましたが、全く初めての
体験です。道元の「正法眼蔵」に「精華」
という章がありますが、日本人にとって
宇宙的生命を端的に納得領解しやすいのは、
花であり、ついでは山河自然なのでしょう。
「どの(教えて学ぶ状況)もそれぞれに異なる関係から始まる。
究極のゴールとは常に同じである。すなわち、その関係を、
両者が共に神の子を罪なき者として見ることができる
神聖な関係とすることである。」
出会いによる救済に偶然はなく、出会うべき者たちは
出会うことになる。
なぜなら、一緒であれば、彼らに神聖な可能性があるからである。
彼らは互いに出会う用意ができている。
“再録 奇跡の道 その104~どの(教えて学ぶ状況)もそれぞれに異なる関係から・・・” の続きを読む
精神というものは、それが真に伸びるためには、
必ず何らかの意味において、一種の否定を
通らねばなりません。この否定という浄化作用、
すなわち自己反省というものを通らずに
伸びたのは、精神としては、真に伸びた
のではなて、かえって度の過ぎたものとして、
結局欠点となるわけです。すなわち、人間の
性格上の問題としては、自分の欠点を反省して
これを除くという努力が、じつはそのまま
長所を伸ばすことになるわけです。

人生を深く生きるということは、
自分の悩みや苦しみの意味を深く
噛みしめることによって、かような
苦しみは、必ずしも自分一人だけのもの
ではなくて、多くの人々がひとしく
悩み苦しみつつあるのだ、ということが
解るようになることではないかと
思うのです。
“森信三先生の言葉 6~人生を深く生きるということは・・” の続きを読む
「癒しには、病気という幻想が何のためのものかに
ついての理解が伴う。これがなければ癒しは不可能である。」
病気自体は一つの選択であって、決断でもありますね。
苦しんでいる人が、もはや苦痛には何の価値も
見なくなった瞬間に、癒しが達成されるようです。
まさか。?
でしょうか、?
“再録 奇跡の道 その106~癒しには、病気という幻想が・・” の続きを読む

すべて物事は、最上のものは一歩を誤れば、
最下に堕するのが常です。
これは二階へ上がる梯子は、一段目から
落ちたのでは何でもないが、一番上の段から
落ちたら大けがをするのと同じようなものです。
同時にまた、外面的には最下と見えるものの中にも、
内面的には、最高の意義の宿されている場合が
少なくないのです。かくして諸君の前に
置かれている分岐点は、名実共に最下なる
ものに宿るか、それとも最下なるものを
通して人生の最高処に到るか、その何れか
だといってよいでしょう。
〇
一人の卓れた人格というものは、決して
“森信三先生の言葉 7~すべて物事は、最上のものは一歩を・・・” の続きを読む

一生を真に充実して生きる道は、結局「今日」と
いう一日を真に充実して生きる外ないでしょう。
実さい一日が一生の縮図です。
われわれに一日という日が与えられ、そこに
昼夜があるということは、二度と繰り返すことの
ないこの人生という流れの中にあるわたしたちを
憐れんで、神がその縮図を誰にもよくわかる
ように示されつつあるものといえましょう。
“森信三先生の言葉 8~一生を真に充実して生きる道は・・・” の続きを読む