価値観の方向

世の中が工業社会から情報社会へと
変化するといわれていた。
そして時代の人々にとっての価値観は、
「モノ、金」から「ネットワーク、縁」へと変化するだろうとも。
ようするに「お金持ちよりおコネもち」であり、
モノ金の豊富さより、精神的なつながりの深い人々との
連携であり、縁であると。
だがそれをうたいながらも価値観はやはり変化しないで
いるようなことが多い。
それは情報革命であったり、革新的な技術の発明で
あったり、悟りにいたる宗教であったりしても、
やはり価値観はお金であるようだ。
それではいったいどんなことがこの世界維新といわれる
時代の価値観に具体的になるのだろう。
ネットとは「祈りのネットワーク」か「精神社会ネットワーク」か
「感謝のネットワーク」か「環境ネットワーク」か
「平和のネットワーク」か「ボランティアネットワーク」か、
いったいなんなのだろう。
そしてそんなネットに存在して何をするというのだろう、
また「何のために」。
そう地球環境や平和や貧困の撲滅や、
およそ人間社会がある限りなくなりそうもない
調和の一方向を何故に問題とするのだろう。
私たちのすべきことは何なのだろう。
「祈り」?「瞑想」?
いったいどこへいたると欲するのか・・・・。
今あるということ以上になにがまさるのだろう。

なるほどと思う

理論的なことは苦手で、
感じるものやことしかもういい、って思ってた。
でも必要なことは今生で必ずやってくるのだから、
否定だけはしないようにとも思ってた。
そうしたらやってきた。
この17年間ずっと学ばされたことのわけや、
人間の未知なる部分をはっきりと説明できることや、
感じることをきちんと説明できる言葉の力を少しだけ知った。
なるほどと思った。
人間一人ひとりが出す「波」が、その人の現実を
引き寄せていることは、多くの人々が知った真理だ。
そして「言葉」がそれを引き寄せるエネルギーということもわかった。

“なるほどと思う” の続きを読む

つながっている

なんだか気になる人とか、
なんだか仲いい人とか、
なんだか感じいい人とか、
きっと先世でかなり深かったんだと思う。
そうでなくてもすこしだけあった人とか、
路できづかず行きかう人とかも、
やっぱりそんなことかも知れない。
半年以上お世話になっている娘のリハビリの先生に
「松山に行ってきたんですよ。」って言うと、
「私松山の隣町の出身ですよ。」ってかえってくる。
きのうもよく会社に訪ねてくださる友人が、
「あのありがとう看板の会社の人ね、
うちの娘の会社にコンサルの依頼にみえたみたいだよ。」だって。
どこかであとで繋がってくる。
ご町内の人たち、会社で一緒に働く同志の人たち、
もちろん家族、そして親戚、友人、どんなに深い縁なんだろうか。
みんなこのややこしそうな時代をともに
支えあって生きていく時代の連れ添い人なんだ。
できるだけ大切にしたいと、そう思う。