「大日のごとく生きる」 中村公隆和尚 著
短観 0701 「異変」
巡る
昨日、映画「不都合な真実」を見た。
想いだした。
その昔になってしまった高木善之さんの
環境に関する多くのお話を拝聴する機会を
持った日々のこと。
それでも、次第に環境をウンヌンする
傲慢さにウンザリしてしまったじぶんの心を知った。
鏑射寺 中村公隆山主の法話
天音天画 0612
感ずるところ
多くの人々が絶賛する映画を
見ても、感じないことが多い。
それなのになんでもない映画に訳もなく感じてしまうこともある。
人様と話していてもそう、何か知らないけれど
ウルウルするときがある。
話す前に分かっていること。?
普遍的なことについて、
話し合わなくてもわかってしまうことって
あるようだ。
それはただ普遍的だ、ってことに
感じていて、話の内容ではない。
同じように、心が動いてしまうウルウルは
情けなく思ってしまう。
そのポイントが残されているんだから。
まだだ・・・。
「生きるとは 輝くことか 花の薹(とう)」
シャンソン歌手の堀田さちこさんのリサイタルの
2007年のキャッチフレーズだ。
いつもニコニコの堀田さん。
この薹(とう)の字が分からなくて
調べたら、ふきのとうのとうに同じみたい。
茎からでた若い花の茎という説明があった。
生きることは 輝くことか・・・・。
いつまでも分からないで死んでいくんだろうか・・・。