追悼 坂田道信氏 「致知」より

坂田先生! ありがとうございました。

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幾度かの坂田道信先生との出会いのチャンスが
ありながら先生の講演会との日程が合わず、ようやく
その場がいただけました。

名古屋国際会議場の一室での講演会です。

一番後ろの席で、こっくりこっくりと隣の居眠りする家内の
横で、自分は幾度も涙を流していました。

初めての出会いとなったその日、講演終了後
坂田先生のもとにかけよりご挨拶をさせていただきました。

「先生、やっとお会いできました!」

そのお声かけに先生は

「会っても何にもならんよ!」と謙遜でしょうか。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 9 「三つの段階」

三つの段階

 すべての物事は、三段階に分けて考えることができましょうが、
この場合、最もいけないのは、口汚く叱りながら、
後になっても、一向悪かったと思わない人間でしょう。
次は事がすんでしまってから、「アアまで言わなくても
よかったのに」と後悔する人間。その次は、
怒りの言葉が出そうになったその瞬間「アッここだ!!
ここだ!!」と喰い止める人間というふうに、
大別してこの三種に岐れるでしょう。そして最後の、
まさに起ろうとするに先立って「イヤイヤここだ!!
ここだ!!」と自ら制し得る人、これはよほど
修養の至った人でないと、なかなかそこまではいけないですね。

森 信三 運命をひらく 365の金言 7 「私が信じるもの 2」

私が信じるもの 2

 第二にわたくしは民族を信じています。
この方は第一の「宇宙の大法」を信ずるほどには
行きませんが、しかし民族に対する根本的な
信頼は失いたくないですね。
尤もこの日本民族がどこまで真に信じられるか
どうかは、積極的には分からないわけですが、しかし
「宇宙の大法」に次いでは信じたいですね。
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森信三先生の三賢弟 R5 3/29

作日自宅に広島県尾道市在住の友人
M女史から「尾道しまなみ新聞」が
送られてまいりました。3000部発行の
無料の新聞で有志の発行によります。

2023年4月発行の第20号は同じ尾道市に
住まいする川原作太郎さまの特集です。

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偉人森信三先生の三賢弟のうちのお一人です。
後のお二方は亡き寺田一清先生そして先日
他界された坂田道信先生です。
ご健在は川原作太郎さまのみとなりました。

若き日の坂田先生が敬愛する森信三先生に
始めて会いに広島向原から宝塚へと50CCの
バイクで走り、先生の家を捜しあて、ガラリと戸を
引いて家の中へとお声をかけますと、
森先生が現れてたまたま中にみえた寺田様、
川原様を共に呼び、
「ここにもいたよ。。」とつぶやかれたとか。
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森 信三 運命をひらく 365の金言 3 「悲観は大禁物」

悲観は大禁物

 いやしくも人間としてこの世に生を受けた以上は、
将来多かれ少なかれ、人の世の苦労が降りかかって
来ることでしょうが、しかしその際悲観は大禁物であります。
それどころか、これこそ自分を鍛え磨いてくれる神の
鞭と信じて、苦労のどん底にありながら、そこに人生の
教訓の泉を掘り当てるまで、全力をあげてこれと当面して
いかなければなりません。そうすることによって、
初めてわたくしたちは、まずは一人前の人間に
なれるというわけでしょう。
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坂田先生 ありがとうございました。

ハガキ道の広島の坂田道信先生が令和5年3月15日に他界されました。
今から2ヶ月ほど前の1月23日にはれる様の主催で坂田様の奥様の料理教室が名古屋で開催されました。
同じ日先生はおそらく最後となったであろう、読書会をされました。はれる様にいただいたビデオを、まさに遺言のように拝聴させていただきました。

先生はお知り合いになっての30年間、自分の精神の柱でした。
全く道の劣等生である自分とこの数ヶ月は密なお付き合いをしていただき、最後の最後まで、しっかりやれよと励まされていた感じをうけています。

坂田先生!

肉体がある限り、ハガキ道を続けます。
読書会を続けます。
どうぞご安心ください。

貴重なビデオを送っていただいたはれる様にお礼申し上げます。

皆様にみていただければ坂田先生とても喜ばれると感じています。

坂田先生読書会 令和5年1月23日 名古屋にて
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日月神事から現代の日月神事 御天画へ

出口王仁三郎さんの霊界ものがたりは
あまりにも有名です。
預言書です。
あまりに良く言い当てているので、
時期はともかくいつの時代でも
とても大切なことを言っているかに聞こえます。

大本教は戦前二度の国家の弾圧を受け
解体されました。
余りにも日本国の中枢をにぎる人々が
大本教に帰依する数が増えたためですね。
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