新エネルギー革命

「新エネルギー革命へ」
木を切り、畑をつくった場へ、太陽や風のエネルギ丨が注ぎ 作物という果実を得たのが人類の第一の革命でした。木を切る道具を作る知恵がエネルギ丨革命を生みました。
そして蒸気機関が単一の製造物を、たくさん作ることに手を貸してくれて、産業が大発展したのが、産業革命でした。
その、動力機関の燃料は木、石炭、水力、石油、核と変遷して現在に至っています。
日本という国は、文明国家の中では、産業革命の恩恵にほとんど最後にあずかった国です。
明治という時、この国にガス灯がともり、機関車が走り、電話が鳴り、それは文明開化のさきがけの時代でした。
その後、時代は大正、昭和へと移り、二つの原子爆弾が国土に炸裂しました。世界中で唯一の被爆国となりました。その国に世界で二例目の原子力発電所がもたらされ、現在では五十五基という世界一多くの数の原発をもっているのも日本です。まことに不思議なことに感じられます。
人類は二度のエネルギ丨革命を経て現在に至りました。
石炭、石油を燃やすこと、ダム建設や莫大なエネルギ丨を生む原子力発電所、そして最近の太陽光発電や風力発電。
大きな視点でみますと、すべてがエネルギ丨を得るために燃やし爆発させて、自然のバランスを壊してしまうものでしょうか。

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教えられることばかりです。

今日はすこし空気がゆるくて 春を感じました。
23日24日の3ヶ月ぶりのテネモスの集いは
時間のたつのが速くて もう終わったの?とビックリでした。
少人数でしたが 広島県や三重県からのご参加もあって
みなさんの質問もするどく 大変に楽しく有意義な集いとなりました。
「新しいタイヤだとなんでもないけど 古いタイヤを
つんでおくと自然に燃えるのと 自分の髪の毛が真っ黒に
はえてきたのはいっしょのことだけど わかる。?」
もちろん「?」ですが そういえば10月の頃にはこのまま
髪の毛が全部なくなるのかと思わせるほど 強い薬の影響で
バーコード状態だった(失礼!) あの頭が今は黒くて おまけに眉毛まで
黒く整っていました。
「飯島さん それってもしかしてかつら。?」(笑)って聞きたくなるほどの大変化でした。
「医者からの薬を飲まないものだから バレちゃって 無理に
注射で強い薬入れられちゃって あんなにバーコード状態になっちゃった。
でもね 屋久島の水をスプレーしょっちゅうしていたら こんなになっちゃたよ~~」と
嬉し楽しそうに子供のように語ります。(笑)
それで私
「そうそう 私も前髪の薄さがアレッって気になってきたので
屋久島の水をスプレー同じようにしたんですよ。そしたら
2-3日でその前髪の薄さが減ってきた気がして やった~~って
思いました。」
期せずして同じ体験をしていたわけです。
古いタイヤが燃えるのは 放出状態(古いので崩壊)のタイヤを
つんだ状態なので 圧力がかかり酸素を引っ張ってきて燃えるようです。
吸引か放出か その状態で判断すると 現象が理解できると教えられました。
それで 放出状態(破壊)の髪の毛がどんどん抜けるのを 微生物いっぱいの屋久島の水によって
皮膚に圧がかかり 皮膚が吸引状態になって髪の毛が生えてくる のだそうです。
有機と無機を混ぜ圧をかけると そのギャップの分だけ0に向かう
基本中の基本をつい忘れがちです。
「目を開けているときの瞑想で出すものが
目を瞑っているときに 返ってくる」
いつもいつも考えていると その答えが自らの心に
湧き上がってくる。 考えていないものは 返らない。
その考えの道が 正しいものならなおさら直感は応援するのでしょうか。
 
二日間が終了して飯島さんは東京へ戻られました。
そのあと坂田さんの奥さんとのお約束の「気晴亭」へ行き
6人でお食事でした。 何も説明せずに坂田さんの奥さんに「生きているクリーム」を
進呈させていただきました。
今朝会社に電話がありました。
「あれ あれあのクリーム 買える単位はいくつから。」
「ひとつからでいいですよ。」
「違うのそうじゃないの もう売っちゃったの。なにかものすごい波動だから
いいもの皆さんに 勧めたいの。」
「ああ それなら元のところをご紹介しますよ。」
「だめ そういうもんじゃない。 あなたから買いたいのよ。だめだめ。」
私が販売しているということも言ってませんが。?
超敏感な坂田さんの奥さんは 儲けだけ重視でなく とても人の道を大切になさる方でした。
大変に勉強させられました。             Y
☆ 「テネモスミーティング名古屋」 3月
平成25年3月13日(水)  午後7~9時
         14日(木)  午前9時30分~11時30分
場所 山善ビル 2階  名古屋市中村区名駅南一丁目10番9号
参加費用  各回 2000円
参加お申し込み 山田まで。

平成24年の暮れとき

今年も暮れようとしています。
恒例のように 家族の幾人かが病で伏せます。
きっと激しい日常の多くの働きが負担になって
休みたいと 体が発する信号に従うのでしょう。
暮れにはたくさんのことが重なって やらなくては
やりたいと思うことがあまりに多くて プレッシャーに
負ける身体さんです。
でも 心の奥の心どおりに したほうがいいです。
できることを できるだけでいいんですね。
沖縄首里の駅のあたり 丘の上に向かって一時間ほど
散歩しました 高台から見下ろす風景は アメリカのヒルズからの
それのようでした。
でも丘から降りてきたところにある県営か市営かの
コンクリートの住宅のあらゆる空気が 静かでまるで
死んでいる町のようでした。活きている住宅ではないです。
道路には 軽自動車の群れ それも平日なのに。
沖縄は大丈夫でしょうか。
みんな病気ではないでしょうか。
みんな夢を失ってはいないですか。
そんな風に ちょっと聞きたくなるような静かな町の空気でした。
14年前始めてお会いした女性 「初めてお会いしたあなたの年齢に
なります。」 と誠実なクリスマスカードに書いてありました。
14年前 何を思っていたのでしょうか。
ものすごく歩き回った あの時代。
あの歩き回った頃が あのさまざまな情景が今 よみがえります。
何を求めたのか 何がしたいのか あなた 自分のこと
自分の活きている意味 わかりますか。?
考えたことありますか。?
平成24年 もう最後です。
来年は誰もが その活きている意味を問いかける時が
くるのでしょうか。
または確認のときでしょうか。
生まれ変わりの日本です。
もう誰もの眼がさめることでしょう。
幸いなお正月でありますように。
 

権藤さんという人

地元の神明社の元旦祭が1日の10時から
毎年開催されます。
それが終わると 直来が社務所であります。
小さなまちの神社ですが 20人くらいの方が
それぞれの町内の氏子代表として参加されます。
神社の宮内で参拝が行われるまさにその瞬間
私の隣の人のケイタイがけたたましく鳴りました。
その方は発進先を確認して何事もなかったかのように
皆さんと共に参拝を済ませました。
私は噴出しそうでした。(笑)
その何事もなかったさ にです。
その後社務所で直来です。
いつものように氏子代表の方の短い挨拶のあと
煮しめタマゴかまぼこをサカナに 短い宴です。
私はお隣になった私より8歳年上で
氏子の中では2番目にお若いそノケイタイの主Mさんに
聞きました。「さっきのケイタイなんでした。?」
その返答はあんまり話したくなさそうでしたが
しつこく聞くものですから
「16日からハワイに行っている友達の家の鍵を
預かっていて 何かあったらセコムから連絡がはいるように
なっていたので ベルがなったとセコムから連絡が
さっき入ったんだよ。」
私はへ~~としか答えようがなかったのですが
16日からハワイって優雅な人ですねえ 身内の人ですか。?
と尚お酒が入ってしつこいものですから そこからお話が
始まりました。
「中日の権藤だがねえ」
「え~~~」
「ひとつ質問いいですか。」(なおもしつこいです)
「権藤さんて 横浜で監督一年目にして日本一にまで
なった人ですが どこが権藤さんのすごさんでしょうか。」
実はこの疑問は長い間の私の疑問でした。
あのしわくちゃの顔で右手で頬杖をつきながら
顔を揺らせる独特の雰囲気の権藤さんは 中日の高木監督の
補佐として一年を勤め 去年電撃的に退団しました。
また万年最下位の横浜をあっという間に日本一にして
またあっという間に退団した人でもあります。
「それはね 一度任せた人には一切口を挟まない人で
任せたからには 一切の責任は自分が負うからと言い切った人です。
それと 一度縁ができた人には ものすごい細やかな心遣いで
ずっと気遣う人でもあるんです。」
なるほどと納得のお話です。
でもそれより驚きは 長い間疑問に思っていて
聞きたかった回答の主が お隣にという事実なんです。
これで長年の疑問が解けました。
そしてすこしドライですが 落合さんもやはり同じだとか。
長く続けることのできる秘訣が共通してあることを
教えていただいた元旦のできごとでした。
すこしずつの疑問が解けていって
長く生かされる意味を感じさせていただいてます。
素敵なお正月を 輝く太陽と共に ありがとうございます。

伊路波村だより  縁の中に生かされて

3月になりました。
すこし水がぬるんで お掃除も楽ですね。
朝の風もやわらかになりました。
今年は5月21日の朝7時30分頃
金環日食が日本の広い範囲でみれます。
300年ぶりくらいとか。 金星が月にかくれたり
太陽の前を通過したりの日もあるようで
めずらしい年です。
この2月25日~27日に 仙台を訪問させていただきました。
仙台の主のOさんにめちゃくちゃお世話になりました。
Oさんは東日本全体の主といってもいいでしょうか。
自分で自分を自分する」Oさんのブログです。
集いの日の模様を どうしてこんなにうまくまとめれるのだろうかと
思うほどいつもきれいにまとめてみえます。
25日仙台空港への着陸が遅れました。
降雪のために除雪作業に50分かかるので
上空待機でした。
搭乗前からアナウンスで 仙台空港の状況によっては
再び中部空港に戻ることもありますとありましたが
何故か降りることができることは 確信としてありました。
着陸態勢に入りますとの機内アナウンスに 皆さんホッ。

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ナターシャの祈り

あまりにたくさんの不思議な偶然が
重なると 今回生かされた意味を
もう一度考えざるを得なくなります。
きのう久々に そう3年ぶりにうかがった
え~さんに誘われた 飲み会の小さなお店で
10年ぶりくらいの再会がありました。 
まったく別の集いにおいでになっていた方でした。
日向島に向かう船の中で 一合瓶をともに
かかえた仲でした。(笑)
その方も 幾年かぶりにその小さなお店に
お食事にみえたとのこと。
出会いに 互いに驚きました。
また今月の中旬 旅の帰途の機中の
お隣の席にお座りになったのが
35年前 トタンの営業にうかがっていた
半田のお店の娘さんでした。
といってももう61歳におなりでした。
向こう様がとても驚いてみえました。
偶然はないとよく言われますが
この驚きの出来事の連鎖は
いったい何を伝えているのでしょうか。
私たちに多くの出会いを与えてくださった
小林正観さんの訃報に接し
正観さんに お礼を言いました。
正観さんは わかっていますから
またたくさんのご縁をくださるかも知れません。
大きな星が消えた感じです。
飯島さんの体調不良で今回急にキャンセルになった
「テネモスミーティング名古屋」。
19日の夜の集いには すべて連絡申し上げたので
みえても2~3人とお待ちしていましたが
なんと20名を超える方々が集いました。
数々の疑問に 答えられるだけお応えいたしました。
答えましたら とても心と身体が軽くなりました。
受けてばかりいたこの身が 放出の大切さを
教えてくれました。
「真夏に焼き塩の水に 魚釣りのエサをつけて
つりに行きましたら、いつもは午後2時くらいまでに
半分くらい死にますのに エサはまったく死なず
おまけにぬるくなるはずのエサの水が 冷たいままだったんです。」
実際に体験されたかたのお話は よく伝わります。
また 先回のミーティングに福岡からおいでになったAさん
は 会場にあった簡易式ペットボトルの空気清浄機を
戻られたあと すぐに2台作られたとメールにありました。
猫ちゃんが そのそばで眠るそうです。(エアーポンプ音がしますのに)
その積極的なAさんからのご紹介です。
「ナターシャの祈り」
・・・・
はじまりの朝の 
静かな窓
 
ゼロになるからだ 
充たされてゆけ
 
海の彼方には 
もう探さない
 
輝くものは 
いつもここに
 
わたしのなかに
見つけられたから
「いつも何度でも」(千と千尋の神隠しより)
とても心打たれました。
どうぞよかったらご覧ください。
ナターシャの祈り
今 大きな時代の転換点に さしかかっている感じが強くします。
どうして私たちは同じ時代に生まれ 何を体験し
どのように生きるのかを試され こうして時代の
うねりの中に共にあるのでしょうか。
その答えが もうすぐでるのかもわかりません。
                     

思い出の日

       
今日は5月13日の金曜日。実母の29回忌の日です。5月13日の金曜日。なかなかない日でしょうか。
この日 事故や検査以外で原発を人間が自主的に止めた歴史的な日となりました。
兄に ずっと前にたずねていた実父の命日の連絡が今ありました。
自分の実の父の命日さえ知らない 冷たい息子です・・・・。(私)
平成元年6月19日がその日でした。
そして兄は歴代所長をした経験もあるのに 命日を知らせると 「それだけ・・・」といって電話は切れました。
かなり無念だったかも知れません。
人間のあらゆる記念日の数霊も その人に深く関わっていると聞きました。
今日 母と父の霊線はつながり 「エネルギー革命」を待望する私の心に火がつきました。
埼玉を訪ねた雨の11日 放射線測定結果のデータが 今まで行ってきた活動を
後押しするかのような 確信をくれました。福島県飯館村の水
セシウム Cs134(半減期2.06年) 23ベクレル
セシウムCs137(半減期30年) 25ベクレル  が「検出せず」 に変化しました。
これは 「マナウオーターシステム」と同じ原理で行いました。
同じく土壌の ヨウ素I131(半減期8日) 17000ベクレルが51ベクレルに
        セシウム134(半減期2.06年) 2260ベクレルが86ベクレルに
        セシウム136(半減期13日) 159ベクレルが 検出せずに
        セシウム137(半減期30年) 1420ベクレルが85ベクレルに変化しました。
土はとうもろこしの種菌と腐葉土を少し加えてかき混ぜて シートをかけ 一ヶ月放置しただけです。
土壌菌が活性化し土圧を押し上げ 空の生命エネルギーを吸引したことで
半減に30年もかかるセシウム137さえ無害へと原子転換をしたのです。
「マナウオーターシステム」 「エアドリーム」 の原理 エネルギーは圧の高いほうへ
引き寄せられるということが はっきりと証明された瞬間でした。
私たちをとりまく世界は私たちの確認できない みえない空のエネルギーに
よって私たちや万物を生かせてやみません。
この5月 名古屋に新しい風力発電機が届きます。(フリ-エネルギー風力)
そして 実用機であるフリーモーターはおそらく7月。
あらゆるものを組み合わせ これから訪れる暖かい試練に
心ある人たちが輪となって 歩むことがどんなに大切かが試される今年の末でしょうか。
小さい力でも 分散低圧の発電をできる人々がすこしずつ実践するときが来ています。
そしてそれが基盤となって 日本や世界中に喜びの輪が広がることを夢見ています。
                       

地震がこの国に現れてから
いままで続いていた事柄を
続けることの意味と強さが
失われている。
ハガキを書くことがそれ。
モノを販売するのがそれ。
掃除はいい。
朝 三蔵通をなだらかな坂が続く東方面に目を向ける時
静かに低くあがってくる お日様のまぶしさが
この今を 天国だと告げている気がする。
なにごともない日常がこんなにありがたいと
思えるなんて。
地震があった日 会社のテレビが文明を
押し流していく状態を そのまま映していた。
私たちが 作ってきたものが流れていく。
流れていく・・・・。
これからどんなふうになるのか。
この国はどこへ向かうのか。
もしかしたら本来 真に向かうべき人類の方向へと
転換をすることになるのではないのだろうか と思ってしまった。
人間だけが なんでこんな風になってしまったのだろう。
形作り 貯める 化粧をし 装う。
もしライオンが口紅をつけたら・・・・。
そう言ったら家内も長女も爆笑していた。
「私たちは持っている」 テネモスのこの意味がすべてを
語っているのだろうか。
人間がもし居なければ そう主体としての人間が
あなたや 万物を意識する機会を失ってしまうなら
そう人がすべて居なくなってしまったら
この宇宙は存在するのだろうか。
何故 ここにいるのだろうか。
今 そんなことを思うのです。
春 常緑樹の若い若い葉が 毎日たくさん路上に
落ちていく日 常世の春は 「今が ココが天国です。」と
私たちに語りかけているような気がする。
花 若葉 子供達 若者のバーベキュー
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空 飛行機雲 葉桜・・・・・。
今 天国に居ます。