今日は3月1日。
早朝といっても明け方。
家がさわがしい。
午前4時、長女はもう起きたようだ。
まみ姫はサンコムから戻ったのか、
騒がしい。
夢の中で貴央が叫んでいる声がする。
誰かに興奮して電話をしているようだ。
感性で生きる 030428
芳村思風先生の講演だった。
演題は「幸せに生きる方法」。
開口一番先生は語る。
「そんな方法があったら教えてもらいたいです。
幸せ、楽しい、楽しい、と言っている人の周りは
不幸で迷惑している人が實に多い。」
みんなの苦笑を誘う。
桜としろほん 030401
桜の花が咲いている。
誰にでも桜の花が脳裏に焼きついた思い出が
あるのだろうか。
ピカピカの小学一年生。黒紋付羽織を着た母に手を
引かれて、小学校の門をくぐった。
あの時の校門の桜の花が、私には強烈な印象がある。
その後二度と、母が学校という場所へ来ることはなかった。
生活に追われ、それどころではなかったのだろう。
しぐるるや死なないでいる 030319
「しぐるるや 死なないでいる」
「後姿の しぐれていくか」
山頭火
山頭火には時雨がよくにあう。
しぐれは「時雨」と書くようだ。
時の雨。
どんな雨が降ろうと 死なないでいるじゃないか。
雨ぐらいで 天命は切れない。
今までも たくさんの時雨にあった。
いつももう—と思ったときに 不思議に助けられた。
時の雨の今は 大方の人々の上に激しいのだろうか。
ここにあって 030312
「仰げが尊し」、幾年たってもこの唄に感動される人がいる。
自分はといえば、小学校、中学校、高校と間違いなく3度は
歌った記憶がある。小学校の時はなんだか唄を間違えずに
歌うことに一所懸命で、感動の体験は覚えていない。
中学校は確かに強い感動があった。多感な少年時代。
さまざまな思い出が脳裏を巡ったことだろう。
そして高校。この時はしらけてしまっていたのだろうか、
何の記憶もない。
かけがえのない命 030305
なにか考え事をしている時には、あるはずの世の中を
見たり、感じたりすることはない。
「我想う ゆえに我あり」と哲学者の有名な言葉。
私たちは思わなければ、私たちを認識せずに、
私という個人は全体となって、我はないのでしょうか。
「私なんて どうしようもない人間---」
食卓で思いの淵に沈む娘に知らず語っていました。
感じるものこそ 030225
「感じるものこそ大切です」
人生のあらゆるシーンを体験する私たち。
さまざまなことに心を動かされ、行動する。
仕事でのこと、集いでのこと、映画、演劇、コンサート。
そしてさまざまな方のお話。
感動が起きた時、人は行動に移す。
けれども感動がうすれるころ、人は離れる。
そして次のステージへ。
かすかに道が 030204
2003年2月4日 記
2月4日。西暦では2003年にすでになっいる。
皇紀は2663年が始まった。
明治政府は太陰暦を捨て、西暦に習った。
「脱亜入欧」
日本人は古代から連綿と続く季節感を失った。
日本人は人マネも上手だが、独創力もある。
黒船を見て軍艦を作った。
種子島ではみようみまねで鉄砲を作り、
当時のそれはナポレオンの武器よりも弾が遠くへ飛ぶ
世界一の性能をもっていた。