「なつかしい人々」
ビルが建って18年が過ぎた。
何にもわからずに、直感だけで建てようと言った時、
父もOK!
ほかの家族が驚いた。
実はその直前に、子供たちが大きくなってきたし、
お風呂も部屋も少し直そうと実行したばかりだったから。
ビル建築中は2箇所に分かれて生活した。
父母と若夫婦。(そのときは若かった)
その期間テレビを見なかった。
だから子供たちは、おじいちゃんおばあちゃんのすまいに
よく行きたがった。
そしてなんだかその期間は、子供たちと
よく話あった気がしている。
なつかしい。
建築のため、鉄筋の古い家を、壊している時に
酸素切断の火花が散って、裏の木造の家が
焼失した。他の人の家。
幸い大怪我をした方はなく、少しのやけどで
済んだけれど、あやまりに出向いた先では、
ただただ謝るしかなかった。
そんなこんなでビルが建った。
8階だてで、7-8階は、土地を会社に貸す
かわりに、家として借りた。
当初順調にテナントさんは入った。
そしてバブルの崩壊へ。
テナントさんの浮き沈みも激しく、幾度か
変わったり、空く部屋が長く続いたりした。
経済的にも苦しい時期が続くことになる。
最初に入居された電力系のポケベル会社の
影響で、通信事業に加わることになる。
そしてビルの一室に事業所を開設したのが、
11年前。
その時に新しく採用されて、入社した
20歳の新卒男女ふたりとMさんという女性そして
60歳を超える男性のMさんで開所した。
ポケベル、携帯電話、パソコン教室などを
手がけたが、今はもうそのどれも残っていない。
そしてその時の新卒の男性は本社に移り、
その他のすべてのメンバーは会社を去った。
それから6年が過ぎた。
通信事業部のサンコムはその後、
ただ多くの方が集う場所となった。
一時期はインターネット電話局となって、
機材や通信インフラも設備されたが、
その電話局も消えた。
そしてその場所は、テレコムあいちという会社と
山善不動産、さらにはポップスグループのプライナスの
拠点、そして山善の情報通信サンコムとの雑居と
なっている。
規模は一時は30坪の1フロアーに拡大された
こともあったが、今は半分のそして当初の15坪に
なった。
この5月のある午前中、なつかしい人々が
中川区の本社に現れた。
サンコムの当初のメンバーの女性ふたり、
そしてもう75歳になった男性が声をかけあっって、
訪ねてくれたのだ。
さらに本社に移動し、今は31歳になる男性も
会社にちょうどいて、まるで同窓会。
新卒だった女性には1歳になる元気な男の子が
生まれていた。
そして情報科学時代同志として学んで、
ボリビア研修にも共に参加したMさんも
元気そうだった。
Mさんは「結婚するんです」といって、
この夏の結婚式に出席の参加要請をされた。
今ビルは満杯状態。
大変な時代を過ぎて、不動産に関する考え方は
新たなものに変化して来ている。
どうしていきなりビルを建てようと思ったのかが、
むつかしい時代に突入した時わかった。
建築は、それに関わる人間もそしてその量も、
15年前の半分になった。
あらゆる事業体は解散、離散、縮小、融合で
その形を大きく変化させた。
事業をどのように方向づけるのか、
今好調といわれる業種でもまさに先は不明。
何か根本的な大変革の嵐が吹き荒れそうな予感がする。
その少し前に互いに補いあって生きることの
必要をビル建築が教えてくれた。
通信事業こそ次の業種とわかって飛び出した
18年前。今を予想することは容易だった。
だがほんとにしたいこととは異なる姿。
この日本という国の現状は、ニュースが
教えてくれている。
若者は感動をもとめる。
もちろん若者だけではない。
今はもう人間的な感動を
抜き超えた、最内の世界へといざなうきっかけが
遍満しているかのようだ。
ただつかみとれないだけなのだろうか。
29日、万博の関係で5月に開催された名古屋まつり。
そのイベントの山車巡行の途中、この前の今度結婚されるMさんに偶然に出会う。
一緒にみえたのはフィアンセ。
嬉しい出合い。
こんなところで。
さまざまな人生。
通り過ぎる人々。
新しい生命、新しい生活、老いへの不安。
なつかしい人々が、現実を連れてきた。
力が湧いて来た。
ありがとうございます