実感だけが理解の手助けだとしたら、
体験にまさるものはないだろう。
感情の体験は多くのイベントから得られる。
声、調べ、自然の音、ハーモニー、美、技などから
驚きや共感、癒しが喜びや響きをもたらす。
現象を今までの人々の人生の体験や、知識や智慧で
理解できない時、人間はなんとか、自らのもつ
ものさしで理解しようとする。
それはマジックだったり、宗教だったり、ミスだったりする。
それでも理解できない場合は敬語で現象や他人を
遠ざける。
それでもおさまらない現象への理解は、怒りをもって
その場を遠ざかることを促すのだろうか。
この世はまぼろし。
あなたの創り出した心象世界が今。
空間も時間も物体も、エネルギーにすぎない。
今にすべてがある。
こんな言葉群を、内側はみんな知っていても、
現象が理解を遠ざける。
時々ほんとのことに出会うときがある。
今まで何度も企画した、小島さんの「ふしぎマジック」を
見る集いに、今回は28名の方が参加した。
ほとんどが10代ー20代の男女。
それも女性が圧倒的に多い。
彼女たちの笑い声が、小さな店内にこだまする。
その時、一番必要な観客の人が当たる。
そして驚きの度合いは、現象の理解度に反比例する
かのようだ。
はっきりとした方向性、生きる道がわからずに、
ただよう波の泡のような若者たちのほとんどが、
すべてわかっているような、そんな気がする
大きなエネルギーさえも、店内に溢れんばかり。
私たちは互いに自然に助け合い、支えあい、
他人の喜びをわがことのように喜び、
他人の悲しみをもまた、共にわかちあう若者たちをみて
未来の明るさを知る。
何かのきっかけが引き金を引くことだろう。
若者たちは大きなうねりをみせることだろう。
そのとき、成功も失敗もなかったことにきづくのだろうか。