一緒に仕事を始めた第2創業時。
おじいちゃん(父)は今の私の年齢だった。
50-60キロもする鉄板を毎日毎日
3-4トンは移動した。
手で。
もうその年になるまでの15年間くらいは
重いものは持っていなかっただろうに。
始めた頃は、あちらが痛いこちらが痛いと
言っていたっけ。
でも第2創業。
将来を夢見て、そして自分の城、祖父の城の復活が
喜びと力になったのだろうか。
張り切っていた毎日だった。
秋が行く
休日の朝。
駐車する路上への道すがら、
葉っぱが抜け落ちた銀杏の木を
車内から見上げる。
きれいだなあーーー。
11月短観 「みんなの興味」

異国にかける夢
「異国にかける夢」
どうして言葉に詰まったのだろう。
そのまましゃべれなくなって、他の方が
フォローしていた。
その方のしゃべっている言葉の意味が
まったく頭に入らなくて、ただ涙だけが
目からふきだしていた。
3ヶ月おきに集う異業種会の卒業生の
集い。少し卒業していない方もみえる。
熱い人々の集いでもある。
お酒が入って、少し興が乗る頃、
お一人ずつのなんでも話が始まる。
憂きことのなおこの上に積もれかし–
昔の話ですが
例の熊沢番山が 番山の師 中江藤樹の話を
聴きに 片道8時間かかる山道を通いました。
そして毎日、1時間の講義を垣根越しに聴いていました。
塾のお金を払うことができなかったのです。
ある日、藤樹は垣根にいる番山を呼びます。
そしてたずねます。
高野山の秋 ~出逢い・縁~

平成13年11月6日夜、愛知県豊橋市で用事が済んだ時刻が午後10時20分。それから高野山へ向かう。約5時間はかかるだろう。新郎Kさんと新婦Nさんの結婚式が翌7日に高野山で行われる。その場に立ち会うためだった。
「さて、車中の長い時間をどうしよう。」と思ったとき、ありがとう実験を思いついた。小林正観さんの著書「幸せの宇宙構造」のなかにあったのだ。「ありがとうを無感情に言っていても、1万回位言ったところで、涙が出てくる。その後、心から感謝のうちにありがとうが言えるようになる。」いっそ、「ありがとう」より「ありがとうございます」でいこうかと決めた。1分間で約50回言える。幸い人も聞いていない。チャンスだ。
日本人のこころ ~五木寛之さんのお話から~

名古屋商工会議所創立120周年記念講演会。作家の五木寛之さんが講演者だった。500人の聴衆の前から3分の1程の真ん中に座った。聴衆はほとんどが今を生きる経営者の男性の方たち。後頭部がかなり薄くなっていて、まるでお月様がいっぱいのようだった。チラホラと五木ファンの女性がみえる。
「蓮如」「大河の一滴」等で、現在話題の五木さん。最近は、お寺とか、集会所でもお話しをされるらしい。以前とはとても変化しているようだった。
演題は、「日本人のこころ」。近著と題名が同じだ。四日市のUさんが、「五木さんのお話いいですよ。」と言ってみえた。それだけに、久しぶりの講演会に心が躍っている。
億念の信
「億念の信」
以前の「感動を伝える」から掘り出した、
「仏様の言葉」。
名古屋から今は山梨に越されたお寺の大西唯心さんの
投稿だった。
「今のままがちょうどいい」そのことを悟ったら
「億念の信」。
母はちょうど20年前の5月18日に逝った。
