随想 伊路波村から74~日票式人生読本 020712

我が家の洗面所の目の高さにかけてある日票式人生読本。

足助の平勝寺住職からいただいたもの。
60日毎日のひめくりです。

歯を磨きながら、あるいはひげをそりながらみるとはなしにみる。
一部をご紹介させてください。

戯論を止めよ(毒矢のおしえ)

マールクシャという釈尊のお弟子があるとき、
次のような質問をしました。

「この世は永遠に続くものでしょうか、
それとも今にすっかり変わってしまうものでしょうか教えてください。」

「こういうことがわからなければ修行をやめようかと思います。」

と。 すると釈尊は、このお弟子に次のように仰せられました。

若し人が、毒矢をもって射られたとせよ。
廻りの人が急いで医者を迎えて、その矢を抜き取るようにする。
ところがその時、その矢を抜くのは

ちょっと待ってくれ、一体この矢はどこから来たのか、
この矢は誰が射たのか、矢先はどのような形をしているのかと。
そういうことがすべてわかるまでは抜くのを待って貰いたいというならば、
彼はそれらのことを知る事が出来ないうちに死んでしまうであろう。

戯れの論をして居るよりも先に、まず毒矢を抜き取ることが大切なのである。
前世がどうであったとか、死後はどうあるかを知り尽くすよりも、

今おんみ達の身に迫っている恐ろしい
毒矢を抜き取る事こそ大切なのである。

私の教える修行はその為の修行なのである。
戯れごとではないと仰せられた。

随想 伊路波村から75~あなたに誉められたくて

俳優高倉 健 さんの本の題名です。
もうずいぶん前に出版されました。

高倉健さんが10年も続けた事。
それは毎年の大晦日の午前零時に
長野善光寺をお参りすることでした。

長野県とは別にゆかりもなにもない健さんにも
何故善光寺なのかがわからなかった。

ただ続けてみようと毎年0時になると参道から入り
善光寺にお参りしたのでした。

年を重ねるにつれて大晦日に必ず健さんが善光寺に
くるといううわさがひろがりました。

大晦日には参道に人があふれるようになりました。

10年目を迎えた年。いよいよ健さんにとっての満願の年です。
あいにくその年はアメリカで映画「ブラックレイン」の撮影中でした。
「今年は行けないな」とあきらめていた健さんでした。

大晦日が近づくにつれて10年目の区切りをつけたい気持ちと、
ことしも健さんにあえると待っていてくださる人々への思いが
つのってきます。ギリギリになって映画のスタッフに理由を話し、
お参りをしたらすぐ戻るという約束で健さんは帰国。
善光寺に時間どおり間に合いました。

アメリカでの撮影をよく知っていた健さんのファンでしたが、
10年目の最後の善光寺の参道、いつもの年にも増して
多くの人々が「ウオー」という叫びとともに健さんを出迎えました。

「あなたにほめられたくて」健さんは人生をすごしました。

このお話では自分を待っていてくれるだろう人々でした。

でもほんとうに誉められたい「あなた」は健さんのお母さんでした。
お母さんに誉められたくて健さんは生きてきたのです。

はなしは自分のことに移ります。

母の口ぐせは「いい子だね」と「他人の役にたつ人間になれ」
でした。昭和50年。月給8万円の中から毎月現金書留で
一万円を母に送りました。

母が63才になって病床にいるころ、ポツリと言いました。

「おまえが送ってくれた一万円どんなに楽しみにしていただろう」
母は63才で逝きました。

子供4人を育てた借金が残されました。
3年半かかって毎月すこしづつ返しました。

だれの役にたたなくてもいい。

これでおかあちゃん安心してね。

あなたに誉められたくて自分も生きてきたのだから。

随想 伊路波村から76~死なないでいる 020826

四日市での「読書会」終了後のお別れ。

O先生は車が見えなくなるまで見送ってくださった。

自分は種田山頭火のことばを思い出していた。

俳人山頭火は松山の友人大山ご夫妻の家へ
いつもふらっと顔をだした。

旅にでるとたえず行方しれず。
たまに旅先からはがきをくれた山頭火。

忘れたころにまたふらっと大山邸に顔をだす
山頭火であった。連絡は勿論なしに。

そんな山頭火が現れると、大山さんは貧しい中でも
できるだけ、山頭火の好物の豆腐と酒を用意した。

大山さんは不思議におもう山頭火のくせにきずく。
それは別れの日、旅立つ山頭火が、見送る大山ご夫妻を
いつでも一度も振り返ろうとはしないことだった。
いくどもそんなことがあった。

ある日の別れの朝、大山さんは山頭火に尋ねた。

「山頭火さん、あなたはいつでも別れのとき
私たちのことを振り返ろうとしない。
また今度いつ会えるかわからないのに、
水臭いじゃないか。」

山頭火はこたえた。

「旅をしているといろんなことがあります。
ある晩、橋の下で寝たことがある。

その夜大水がでて寝ている間に流されてしまった。
必死で葦にしがみついていのちは助かった。
大山さんにも今日お別れしたら、
もう再び会えないかもしれない
とおもうと、悲しくて、振り返ることができんのです。」

人との出会いをこんなにも真剣に思う山頭火。
私たちは今別れたらもう二度と会えないかもしれないと
思って人に接しているだろうか。

しぐるるや

死なないでいる

手を振るOさんの暖かさに、山頭火をみた。

ガリラヤ湖の153匹の魚

イエス様三度目の復活の場面。
ガリラヤ湖で網にかかった153匹の魚の意味を考える。
 
三で割れる数字の中で唯一の数の意味を勝手に理解。
全自然数の3分の一である3で割り切れる数の中の
唯一の特徴を持つ数である153。
これしかない。
 
父と子と聖霊の三位一体。
その三位一体の唯一の数とは、一人一人。
すなわち貴方様。?
一人一人が分離感をなくすようにとイエス様が数霊に込めた気がいたします。
 
ゼカリヤ書13・8-9
 
⑧全地はこうなるー主の言葉-
三分の二は死に絶え、三分の一がそこに残る。
 
⑨わたしはその三分の一を日の中に入れ、銀を精錬するように彼らを精錬し、金を試すように彼らを試す。彼はわたしの名を呼び、わたしは彼に答える。
わたしは言う、「これはわたしの民」。
そして彼は言う、「主こそわたしの神」。
 
 
ほとんど死んでいるかのように生かされる人々で
満ちている現代という時。
三分の一が分離感を解き放ち生かされた者と
なるかのようなイエス様の預言です。
 
 
こちらは現代のキリスト教とは無関係ですが。
イエス様の言葉は別次元と感じさせます。
 
名古屋ー豊田ー飯田と続く飯田街道
豊田ー飯田は国道153号線。
田ー田の「田田交産」新しい力を生み出すこと。
 
そして中部日本放送は1053キロヘルツの周波数。
 
日本の真ん中の不思議な数霊を思います。
 
数霊の遊びですが。

随想 伊路波村から77~イスラエル ネボ山 010531

魂の旅 ~ネボ山・イスラエル失われた民族を訪ねて~

モーセロミュロス。40年間にわたって、30万人の民を
従え約束の地をめざした人。

1999年5月。その約束の地エルシャライム(エルサレム)をはるかに
臨むネボ山にたっていた。

故糸川英夫博士の想いと遺骨を届ける旅は、糸川博士の愛弟子
・津のAさんの企画だった。

1948年イスラエルは建国宣言された。初代首相は、故デビ
ッド=ベングリオン。ベングリオン首相の建国の志は、
「荒地を緑の地にかえよう」だった。

そして世界に散りじりになった民族同胞はイスラエル
に戻れと鼓舞し、先住民族ベドウィンの緑地化技術を世界の人
々に教え伝えようではないかと宣言したのである。

この高邁な志に糸川博士は心からの敬意を表し、同時代に生き
ることのなかったベングリオン首相の魂との触れあいの中でイ
スラエルと日本の助け合いなくして、21世紀の地球国家はな
いと言い切ったのである。

1999年2月21日午前3時15分。糸川博士は逝った。ベ
ングリオン首相も糸川博士もよく知らない人々と共に、ベング
リオンご夫妻の眠る墓地で献花した。
何故だかみんな泣いていた。
糸川博士とベングリオン首相がにこやかに笑っているよう
な気がした。

糸川博士は生前、
「ベルバラがわからないと21世紀はみえない」
(?)と言ってみえた。
ベルサイユ条約のことだったのだろうか。
WASP。ホワイト、アングロサクソン、プロテスタントが有色
人種を支配しようという秘密条約。
そのことに最大の抵抗をみせたこの日本という国の過去。
最近の映画『ムルデカ』や『東京裁判』に歴史の真実を知る。
糸川博士の想いは、「国を追われた流民の旅人、
ユダヤ民族と共に大調和を知る日本民族が21世紀の
先導役をせよ。」と訴えているのだろうか。

死海のほとり、マッサダの砦は最後のユダヤの砦だった。
ローマ軍に滅ぼされる前日、全員自決した最後のユダヤの人々は屈辱よ
りも誇りを選択した。現在もこの砦では軍に初入隊する男女の宣
誓式の場として、長くイスラエルの誇りを守っているという。

はるかに約束の地をのぞむネボ山に立ち、聖書物語を思い出して
いた。「ヨシュアよ。私は約束の地を見ることはない。あとはお
まえが民を導くのだ。」といって姿を消したモーセ。その墓は今
も見つかっていない。

人にはそれぞれ約束の地がある。それは場所ではないかも知れな
い。生き方を探求する道につながる約束の地。大きな感動が山上
の風にあおられ、固い決意が生れた。

「何があってもやり抜こう。いのちに正直に生きよう。」

モーセが激しく語りかけるようだった。

随想 伊路波村から78~何処へ 020911

光を語ればすべては見えない。

私たちは見える所に生かされている。

ビルの端にかかる夕陽をみると
ビルの一部が消えてしまう。

あまりににぶいそして粗い光の中で
生かされているから物がみえるのだろうか。

アンデルセンの久村さんが壁に腕を通した。
そして抜いた。

私たちのまわりのいつもあるものってなんなのだろう。
明日がくると無意識下に信じているから明日がくる。

明日はこないと思う人には明日は来ないかも知れない。

今ある物体が400km離れた知らない場所に瞬時に
置き換えられる。空間って、時間って何だろう。

三次元をはるかに抜き越えた多次元からみれば
そんなことはあたりまえかも知れない。

ここまできたらそして一緒にいるから、
意識をつなげていようよ。

意識のチェーンで輪をつくろうよ。
せっかく会ったんだから。

過去と呼ばれるあらゆるできごとも、
未来と呼ばれるまだ見ぬ出来事も、
みんな今、一人が創ったことだろうか。

限りなく孤独であって、限りなく満ち足りた
すべてのあなたよ。

一人しか,ひとつしか存在がないのです。

随想 伊路波村から79~老いを生きる 140417

ある日の朝刊。
長く魚屋さんを営む50代御夫婦のお話。

魚屋さんの近くに大きなスーパーができることになった。
スーパーの営業のかたがスーパー内での出店の勧誘にみえた。

時代がかわりとても魚屋だけではやっていけない。
でも主人は断る。

毎朝市場へ行って、自分の目で確かめた魚を
店頭にならべた自信と体験と誇り。

「やっぱり値段ですよ、消費者はそれだけです。」
営業の方の帰り際のすてぜりふ。

ある日奥さんの前でめずらしく正座したご主人がたずねる。
「今家にいくらある?」
「ここでろばたでもやりたい。このままスーパーに
まけるのはいやだ。」

奥さんは若い頃自分の父親にむかって
「嫁さんにください」と必死だった御主人の姿を思い出し、
思わずにじりよって、御主人の両手を握りしめた。

理想をとるか、実利をとるか。
多くの人が選択をせまられているのだろうか。

随想 伊路波村から80~文読む月日  020828

会社で社員さんを採用する基準は順番でした。

最近は増員を考えたこともないですが。
すなわち縁です。「こちらはあなた様さえよろしかったら
採用させていただきます。明日中までにお返事ください。」

といって集まったひとびとの集団が今の会社。
こちらではとても優劣をつけることなどできません。
だから順番なのです。

会社の業績が落ちてくると必ず人員カットが
もっとも早い効果的な経費節減と、企業は考え実行します。

入っていただくときはあんなに願ったのに。
困ったら裁いて切るのです。

9年前ハガキ道の坂田さんに教えていただいたご本があります。

「文読む月日 上下巻」土御門二郎 著
著者の土御門さんはこの国のトルストイ翻訳の第一人者です。

戦時中「人が人を殺すことは絶対いやだ」と山へこもり
戦争拒否をした方です。あまりのすごさに特攻警察も
追うことをしなかったらしいです。

上巻のなかの一週間の読みものの一つをご紹介します。

ある町に立派な町長さんがいた。
町長さんはだれからも慕われていた。

実業のほうも繁盛し経済的にも繁栄していた。

ある日その町で新しい裁判官を選ぶ必要ができた。
町の人々はみんなが町長さんが適任だ、町長さんしか
いないと口々にいった。

代表者が町長さんに裁判官の就任をお願いに出向くが
町長さんはお断りになる。何度ものお願いにもかたくなに
辞退された。辞退の理由を尋ねても理由をはっきりと言われない。
町民は納得せず、みんなの前で何故出来ないのかを
はっきりといってくださいと要請される。

そしていよいよ町民にわけを話す日が来た。
大勢の町民を前に彼は語り始めた。

「私はじつは幼い頃泥棒の子供だったのです。」
町民は唖然とした。町長さんは話を続けた。

「父親が泥棒のリーダーだった。時には私も頼まれて
泥棒の手伝いを何度もしました。
ある夜商家の蔵に泥棒に入ることになりました。

蔵の窓は高いところにあって小さいものですから、
大人の体は入れません。私がその窓から入って縄をつかって
蔵の中に入りました。その縄に蔵の物を結わえて
幾度も物を運び出しました。何度目かの時、商家のほうから
ざわめきが聞こえました。見つかったようでした。

縄はあげられたままでしたので、逃げることもできません。
蔵の中で幼い私は泣き叫びました。
父親たちは逃げていったようでした。

絶望と恐怖で胸が一杯でした。
蔵はあけられ、警察と家の人たちに発見されました。

警察につれられようとしていく時にその家の奥様が警察の
人に話してくれました。”みればまだ幼い子供です。
私が引き取りますので
どうぞ許してあげてください。”といってくださったのです。」

聴衆はシーンとしている。
以来その子供は奥様に可愛がられ、養子となった。
一所懸命に働き、嫁をめとり、家業を盛り立てた。

「もしあの時奥様にひろわれなかったら、私の人生は
どうなったかわかりません。だからそんな私が他の人がいくら
悪いことをしたからといってとても裁くことはできないのです。」

町の人びとは静まりかえり、誰も反論するものはいなかった。

私たちはいつも人を裁いてはいないだろうか。