3479「打出の小槌」2024.7.5 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2024年06月25日の記事を紹介します。

「打出の小槌」

私たちみんな、願い事をかなえてくれる「打出の小槌」を持っています。

望む物の名を唱えながら打つと、それが出てくるという、小さい槌(つち)のことです。

これを読んでらっしゃるあなたは、言葉をしゃべれますか?

もし、しゃべることができるのなら既に「打出の小槌」を持っています。

どういうことか、小林正観さんのお話をご紹介します。

簡単なことなのですが、本当のことです。幸せに直結します。

是非、素直な心でお読みください。

<転載開始> 転載元

相談に来られた方がいます。

それは二人の女性で、奥さんとそのお母様ということでした。

お母様は70歳を過ぎてもしっかりしている。

目が見える、自分の足で歩ける、という健康体です。

しかも、奥さんの二人の子供は、それぞれ元気で大学へ通っていて、

優秀で奨学金をもらっている特待生とのこと。

というふうに、一つひとつ挙げていったら、実はものすごく恵まれていました。

そして、夫は植物状態になった時、死んではいないのに、保険金が満額おりた、というお話でした。

だからそれによって2年間、奥さんはどこにも勤めることなく、生活費も医療費もすべてまかなえている、とのことでした。

ただ未来が見えてこないので、「つらくてしょうがない」と言っているのです。

でも、今のような見方をしたら、ものすごく恵まれていように見えませんか?

その恵まれていることに目を向けないで、つらい、悲しい方へばかり目がいって、それについて「つらい、悲しい」と言いつづけた結果、楽しいことがひとつもなかったのです。

さらに、私はもうひとつこんな話を聞きました。

このご主人に、毎日のようにお見舞いに行っているそうですが、

「早く目覚めて。早く私たちのこのひどい状態をなんとかして。あなたが私たちのために働いてくれないと、私たちはどうにもならない」と2年間ずっと言いつづけてきたそうです。

私がもし寝たきりの夫であったならば、仮に意識が戻っていたとしても、目を覚まさないと思います。

だってそうやって愚痴や泣き言、早く私たちを楽にしてよ、困ったことがたくさんあって…

ということばばかり聞かされていたら、楽しいわけはないし、体じゅうの細胞や脳神経だって、活性化しません。

そうではなく、たとえば

「3月になって、梅がすごくきれいに咲いてますよ。4月になったら、

桜が咲きましたよ。今年は特にきれいですよ。

5月はツツジ、6月は花菖蒲、7月はユリ…。

そしてだんだんと木々の葉っぱが色づく季節になりました。

こんな楽しいことがあって、きれいな景色があって…」

ということを、話して聞かせてあげたらどうですか。

私がもし植物状態になっている人を目覚めさせたかったら、食べ物の話をするかもしれません。

「7月はモモがおいしい、8月はスイカ、9月は梨、10月は柿、11月はリンゴ、12月はミカン…」

人間の意識というものは、細胞の中に包まれています。

ですから、細胞(容れ物)がちゃんとしてくると、魂もちゃんとしてピュアになってくる可能性がある。

愚痴や泣き言を2年間も浴びせ続けてるのと、

「すごく楽しくて幸せ。こんなおいしいものがあったよ。こんな美しい景色があったよ」と聞かせつづけるのとでは、体と魂に与える影響は雲泥の差があります。

相談に来られた二人は、

「この2年間、どこかへ出かけようとか、

何かおもしろいものを見に行こうかという気になったことはありませんでした。

でも、正観さんの話を聞いて、帰りがけに博物館があったので、1時間ほど見学してきました」

そして、手にはお土産を持っていて、

「今日はとても楽しくて、よかったです」と言っていたということでした。

「はじめに言葉ありき。言葉は神とともにあり。

言葉は神なりき」という聖書の一説は、

発した言葉によって、またそれを言いたくなるような現象が降ってくる

という宇宙の法則だったということが、このレポートによって実証されました。

実は私たちの発する言葉は「打出(うちで)の小槌(こづち)」だったのです。

おとぎ話の中にでてくる打出の小槌は、

ほとんどの人は「そんなものあるわけない」と言うと思います。

私もずっとそう思っていました。

しかし、本当にあるということが、わかってしまいました。

「こうすると、こうなる」という宇宙方程式であり、自分の発する言葉によって、

自分に降ってくる現象を作っていることがわかったら、

打出の小槌を持っているようなものではないでしょうか。

私たちは宇宙の「打出の小槌」を使いこなせるのです。

<転載終了>

「発した言葉によって、またそれを言いたくなるような現象が降ってくる」のだそうです。

私もこれは本当のことだと思います。

自分の口から出した言葉が、自分を取り巻く現実を作るのなら、

「不平不満・愚痴・悪口・文句・泣き言」の五戒や、

「つらい」「悲しい」「悔しい」「苦しい」「つまらない」の言葉ではなく、

・嬉しい、

・楽しい、

・幸せ、

・愛している、

・大好き、

・ありがとう、

・ツイてる

と言う言葉を使いたいものですね。

この言葉を使い続けることで、この言葉をまた言いたくなる現象や出来事に囲まれ、

また、周りの人の心も温かくすることができます。

優しい人々の囲まれて生きることができるでしょう。

以前、良寛さんが20年間も住んでいた五合案に行ってきました。相当な山奥でした。

小さなおうち(庵)でした。

良寛さんは子供と遊ぶのが好きで、世の中の俗事にはこだわらず、

財産や名声や地位に対する欲望がなく、お坊さんでありながらお寺に住まず、

毎日托鉢して、村の子供たちと遊び、詩や和歌や俳句を作ったり、書をかいたり、

その日その日を悠々と過ごしていました。

良寛さんは、まじめに愚直に愛語の精神で生きることを生涯守り、実行されました。

愛語とは、ブッダの教えの一つで、自分の生活の中で、

・他人に対しては、「良い言葉」「愛情の在る言葉」しか発しないことを、自分の修行の柱とする。

・言葉にしない時は、黙って心中で他人へ「愛情のある言葉」を思う。

・言葉に出来ない時は、黙って「愛情のある行動」を他人に行う。

私たちも、こうありたいものです。

口から出る言葉が、良いも悪いも私たちの住む世界、現実を作り出すのですから。

同じ世界に生きながら、私たち一人一人は、例え家族、友人であろうと、

全く別の、自分の現実の世界で生きています。