いのちの実相 4

「30歳くらいになれば落ち着きますよ。」
大学病院の先生は言いました。
30歳まで13年・・・・・・長いなあ。が正直な思いです。
それから後、2006年のあのできごとが起きるまでの14年間に
娘は13回もの入退院を繰り返します。
ほぼ一年に一度の入院生活を1~2ヶ月送りました。
それでもなお主に娘の係りは家内でした。
私は避けるかのように、娘のことから逃げていました。
入院が近くなる前は決まって眠れなくなり、精神が高揚し
わけのわからない言葉を繰り返します。
もう 人間を超えた姿を見て理解できない不安と
逃げ場のない絶望感に満ちていました。
それでも入院中にたまに家に戻る家庭外泊が
赦されたときは、いつも緩やかな症状に戻っていて
希望の光が差しました。


退院し服薬し、眠れなくなりまた入院の繰り返し、
いつになったら、普通の人のように戻るのだろうかの
行き場のない悲しみが家庭にたえず漂っていたのです。
周りのものがどんなに努力しても、本人は快方に向かわない。
それどころか精神薬の多剤処方でますます難解な様子を
見せるようになっていました。
穏やかなる時は、まっすぐな心で他人と接し、決してうわさをせず
純粋なそしてある意味不器用な生き方の娘でした。
「しのちゃん少し生まれ出たのが早かったのかな? もう少し行きやすい時代だったら
良かったかもしれませんね。」
ある方がおっしゃってました。
具合の安定しているときは、沖縄に父の仲間と共に旅行したり、
同じ沖縄に友達と旅したり、また高山に行ったりと普通にできました。
一番輝いていたときは、料理学校の入学案内に
コック姿で大きく掲載された時だったでしょうか。
でもその場所での恋愛問題で心が壊れ、友達関係やバイト先の店長さんとの
イザコザで心が持たない時もありました。
家内はいつもそんな娘のできごとの尻拭いでした。
ほんとうによくやったと思います。
逆に娘の入院中の間の期間が家内の休息の期間になったようでした。
それでも私たちは入院しなくて快方に向かえば、
そして普通の女性として社会生活を送ることができればと
強く願っていたのです。
米国からの臨床心理学が日本にも芽生え、その権威の方にも
週に2度見ていただいたことがあります。
その間にとてもよくなり、快方に向かうと思われたことがあります。
けれどその方さえ治すことができず、心がガラスのように壊れたのです。
しかしそれはそのとおり、他の人を治すことなどできるわけがないことを
私の旅は確実に教えていました。