いのちの実相 7

商工会議所主催のN塾が終了し、そのOB会が発足しました。
ある日のその会合の後、世話人のKさんと友人のIさんと共に
居酒屋にいました。そこでの会話の中で、私は世話人のKさんに
このように言いました。
「人間ってなんでしょうか。本当のことってなんでしょうか。
わからないから知りたい、学びたいと思っています。」
酔っていました。
それまでの私とはまったく異なり、すべてに積極的で
気が向いたことならなんでもやりたい、頼まれたことは
「はい喜んで!」に変わっていたのです。
Kさんは「そうか、そんなら今度おもしろい会合があるので
そこにいりゃ~」と名古屋弁でこたえました。
なんでも拒否しなくなっていたので、二つ返事でした。
ワクワクしていました。


そして参加した会が「衣冠之会」(いかんのかい)です。
この会は平成5年春に、東京のN夫妻のもとに降りた絵のイメージと
言葉をもとに、東京で21名が集って始まり、名古屋でも
21名の発足で始まっていました。
ようするに一般的には怪しい会でした。
集まっている方々は多種にわたっていました。
政治家、実業家、芸術家、霊能者などなどです。
この「衣冠之会」はその後も大阪、福井、福岡と
開催されていきました。
すぐに名前は衣が取れて「冠之会」と変更になりました。
絵はそして言葉は一般的には難解で、すべては見るもの
読むものの感性にゆだねられています。
一貫して流れ行くものは「元一つ」でしょうか。
それも取り方ですが。
会の発足後21年が経過し、全国でなお継続している地域は
名古屋のみとなりました。
今という時に、何か大切なことを伝えていると感じるのですが。
N夫妻はこの御天画を個人にも降ろされる能力をお持ちです。
そのことを耳に挟んだ私は、個人の絵をお願いします。
そしてそのことから時間の壁を越えることになります。
ふたつのことが起きました。
ひとつは私たちが未来と呼ぶ将来の出来事が絵にでました。
ふたつめは私のこの一生のできごとだけではどうしても
理解できない霊的な体験をすることになるのです。
ふたつとも時間の考え方を根本的に見直さなければ
理解できないことです。
私の「御天画」には山が現れました。
そして私の役割は「水」とでました。水先案内人でした。
山の意味を尋ねますと「剣山?」というお返事でした。
「水先案内人」も「剣山」もまったく思い当たりません。
何か不思議な感じをいだいたまま、でも何か嬉しく
その後自分の周りが大きく展開していく予感を感じていました。
そしてその一週間後、知人から「剣山」への旅に誘われます。
さらに霊的な体験はその剣山へのリフトの上で起きます。
シャーシャーとリフトが動き10Mほど上ったところで
私でない私が慟哭を始めました。
魂が移ってしまったです。
実はその前年に上海の玉仏寺にてすでに私でない私とあっていました。
その後、ボリビヤのティヤワナコ遺跡でも同様の体験をします。
そして、
インドの霊鷲山(りょうじゅせん)、イスラエルネボ山、
日本では他に十和田神社と沖縄の藪地。
その後経験した場所です。
そのときの確信は、私たちの人生は決して一度きりではない。
幾度もの人生を体験しながら、今にある。
何故?何のために?
未来がいまにあることや、今生ではない過去がやはり今に蘇るふしぎ。
このことを体験し、ますます同様の体験を求めるたびに
あらゆる場所に出かけ、あらゆる人にお会いしたのでした。
道を求め、お人に会い、あらゆる場所に出向く。
赤塚高仁さん、故糸川秀夫さん、中村公隆和尚、
はがき道の坂田さんなどとの出会いが2年間にありました。
そして平成7年、阪神大震災の年に私は圧倒的な体験をします。
娘は比較的落ち着き、アルバイトをしたり料理学校へ通い始めていました。