「天地創造の話」奥の院通信 R3 6/25

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一神教世界は、昔々ある時、神がこの世の全てを造ったという(天地創造)。旧約聖書創世記がそう書き、この世の全てはその時から始まるとされる。日本の神話では、この世は混沌として天と地が分かれていなかったが、そのうちそれが次第に分かれ、そこに神が顕れたという。あちらでは神がある時、天地を造ったといい、日本では先に天地があってそこに神が顕れたという。更に、あちらでは進化論を用意し、人間は猿から進化してきたと教える。

 教えられる歴史では、今からおよそ4000年前に人類の歴史が始まる。ところが、インドに伝わる叙事詩「マハバーラタ」、「ラーマーヤナ」、「リグ・ヴェーダ」の3大叙事詩では、丁度その頃人類は核戦争で滅んだとある。そこには核兵器だけでなく、その時あったあらゆる兵器のことも、具体的に書かれている。それらの物語によると、その当時既に、現在に匹敵するか、あるいはそれ以上の文明があったことがはっきりしている。

 

 インドのこれらの叙事詩が、全て偽書であるというならば話は別であるが、それにしてはこれらの叙事詩の語る事実は、極めて具体的である。そして、それを証明する遺跡が世界中にあまた存在する。従って、この点に関する限り、進化論の方が怪しい。あちらの世界では、その祖であるアブラハムが登場した頃から歴史が始まるのであるが、何と驚くことに、その時に、現在の人類は核戦争で滅んでいる。それが今からおよそ4000年前、紀元前2000年頃の話である。天地創造の話に比べればごく最近の話となる。

 確かに、旧約聖書の天地創造が描く世界と、インドの3大叙事詩が書き残している世界との間には、とてつもない断絶が存在する。その前にはピラミッドが築かれ、核戦争で「死の町」と化したモヘンジョ・ダロの町は、上下水道も完備した極めて近代的都市であったことが記されている。しかもそれは、そこに核爆弾を投下する前に、偵察機が上空を飛んで、町の様子を極めて具体的に報告している。航空機が飛び回っていたことも記されている。

 インドに伝わる叙事詩は、たまたまサンスクリット語で書かれているので読む人も少ないが、人類にとって極めて重大な情報を伝えている。実際は、あちらの世界が始まり、いわゆる人類の文明が、4大文明として誕生したとされる頃の前に、既に人類はそうとう発展していたが、ある時、瞬時にして滅亡したのであった。

 メソポタミヤでは、それまでの文明を築いてきたシュメール人が突然この頃姿を消している。突然姿を消すというのは尋常ではない。そこには大事件があったと考えるのが普通である。

 因みに、あちらの世界の民族の祖とされるアブラハムは、この頃シュメールの都市のウルで誕生している。その後、彼は神の啓示を受け北のカナンの地に移動する。そのアブラハムに、死んだ妻サラを埋葬する畑を譲ったといわれたヒッタイト人も、その頃、文明の始まった頃とされる時期に、突然滅んでいる。その頃の強国ヒッタイト帝国も滅んでしまったのであるが、その原因はよく分かっていない。大きな出来事を隠すと全てが分からなくなる。

 この頃に起きた核戦争を抜きに考えるから、その頃の歴史は分からないのは当然のことかも知れない。突然消えたシュメール人は日本人と極めて多くの共通点を持ち、同祖である可能性が高い。そんなに遠くの民族が同祖とは考えにくいが、その頃は既に、現在同様に、航空機が空を飛び回っていたことを想定すれば、話は変わってくる。日本でも、今では偽書とされている竹内文書などでは、天皇は世界の天皇で、世界中を「天浮き船」で飛び回って世界中を行幸しておられたとある。海岸にある洞窟ではないのに、船の絵が描かれている洞窟などもある。菊の紋章も世界中にある。

 シュメール人は文字(楔形文字)を持ち、60進法を使い、1週間を7日とし、大陰暦を採用していた。ある時の王子ギルガメッシュがギルガメッシュ叙事詩を残している。その叙事詩には、あちらの世界の神話に出てくる「ノアの箱船」の話の原型がある。極端な言い方をすれば、あの「ノアの箱船」神話はこのギルガメッシュ叙事詩のぱくりとも言える。

 奥の院の支配する世界の歴史には、ここでの歴史の断絶は必至のことだったのかも知れない。それ以前の歴史などあっては困るのである。それに、ギルガメッシュ王子は実在が確認されている世界最古の王であるから、そんなもの持ち出されては、なお更に困る。

 いずれにしても、今からおよそ4000年前、紀元前2000年頃、世界の歴史に大きな断絶があるにもかかわらず、それを隠して連続したものとして語っているので、真実は分からない。奥の院はこれを敢えて誤魔化したままでいるところに、ある怪しさを感じる。現代人にとっては、あまりにも遠い昔の話であるから、無関心になるのは無理もないが、その歴史の断絶の時と同じことが、今起きようとしていると気付けば、無関心ではいられないはずである。