「ヴィマナ」奥の院通信 R3 6/26

 『ラーマーヤナ』『マハバーラタ』『リグ・ヴェーダ』はインドの三大叙事詩である。いずれもインダス文明があったインド・パキスタン地域を舞台にした叙事詩である。この中の『ラーマーヤナ』はインドの『ラーマ王行状記』である。これら叙事詩に出てくる『ヴィマナ』は空中機械で、空を飛ぶ兵器であった。「ヴィ」は「飛行」で「マーナ」は「住居」であるから、『ヴィマナ』は「飛ぶ住居」である。

 『ヴィマナ』は金属製のもので、超音速で飛行する。その居住性も優れており、空中を思うがままに飛行していた。室内の温度は「高くなく、低くない」とあるので、今で言う完全なる空調が効いていたのである。しかも、これは神話的な乗り物ではなく、実際にあって飛び回っていたのである。ジャイナ教寺院には今もその模型が飾られており、しかもそれは空中に浮いている。

 インドの国内航空に乗ると、チケットにはヒンズー語で「ヴィーマン・ローマン」と印刷されていて、これは「ヴィマナにご登場下さい」という意味で、機内アナウンスも「インド航空のヴィマナにようこそ」と言う。ホステスに質問すると、「上司の命令で、私たちのジェット機を『ヴィマナ』と呼ぶようになっています」という答えが返ってきたという。インドでは外来語である「ジェット機」なる言葉を使用しないで、古くから伝わる『ヴィマナ』を使用しているのである。

 また、『ヴィマニカ・シャストラ』という復刻本がある。これは原本は著名なバラモン教の学僧が、今からおよそ100年前の1918年8月1日から8月23日まで口述したものである。彼は長い研究生活の中で蓄えた膨大な知識の宝を、後世に伝えるために、ヴィマナについて知り得たことを全て口伝で伝承したのであった。あの3大叙事詩も口伝で伝承されている。インドでは全ての知識がヒンズーの賢人たちによって口伝で受け継がれてきた。

 こうして伝えられた『ヴィマニカ・シャストラ』も、サンスクリット語で詩として書かれている。これが代々受け継がれ、先史時代の歴史が今に存在しているのである。その分量はおよそ6千行、その最初は『ヴィマナ』という言葉の意味を長々としているという。それは「鳥のように飛ぶもの」であり、「ある場所から他の場所へ飛んでいけるもの」、また「空中を飛んで、一つの国から他の国へ、一つの島から他の島へ、一つの世界から他の世界へと行けるもの」がヴィマナであるという。

 記述を何度も繰り返し、疑いの差し挟む余地のないほどにはっきりとさせ、ヴィマナという言葉が、地球上の大気中を飛べるだけではなく、異なる世界を結びつける乗り物であることを明確にしている。叙事詩と言うが、そこにはロマンチックな描写は一切なく、かといって学術論文でもない、強いて言えば機械類の使用説明書である。

 諸々の定義の後、『ヴィマニカ・シャストラ』はヴィマナの主要な機械部分の説明をしている。
例えば、「二つの容器がぺータ、もしくは土台の上に据え付けられ、各容器には酸で満たされた5つの円筒があり、それぞれ互いに連結した滑車のついた攪拌機がある。滑車は最初は操縦者によって始動されなければならない。しかし、その後は次第に発生する電気エネルギーで動くようになる。
 ダルパーナ、若しくは反射鏡、およびガルシャナ・マニスが滑車の上部に固定してある。ダルパーナ(反射鏡)、とガルシャナ・マニスは太陽熱を電流に変える。その電流はパンチャームケエエ・ナアラ若しくは5つつの経路を持った断流機を通って、ヴィマナの様々な箇所に届けられ、いろいろな機械装置を動かす。」とある。さっぱり分からないが、太陽発電装置とおぼしきものがある、あるいは未知の太陽エネルギーの利用装置なのかも知れない。

 いずれにしても、『ヴィマニカ・シャストラ』の記述に従えば、そのメカニズムを理解していなくても、ヴィマナの操縦者は、この機械装置を動かすことだけは可能である。自動車の機械部品のことなど分からなくても、自動車を運転できるのと同じことである。

 書は、機械装置の説明が終わると、『ヴィマニカ・シャストラ』はその操縦法について、パイロットが知っておくべき秘訣を説明している。パイロットは資格のある個人教師の指導を受け、32の秘訣を習得しなければならず、それを習得したものだけがヴィマナを委ねられたという。それ以外の者にはこの航空機は委ねられない。だから、『ヴィマニカ・シャストラ』は操縦者のための「ヴィマナ操縦マニュアル」といえる。要するに、これは神話世界の機械ではなく、実際に当時普通に使われていた航空機だと言うことである。

 このような高性能な航空機が世界を飛び回って、これが戦争にも使われ、核兵器を投下したことによって世界は滅んでしまったのである。現在は当時の技術を上回っているのかも知れない。しかし、その事が却って、核戦争を誘発し、およそ4000年前の轍を踏むのではないかという不安が残る。昭和天皇が、ポツダム宣言受諾の詔勅の中で、「このまま戦争を続けると、我が民族が滅亡するだけでなく、ひいては人類の滅亡を来す」と言われたことが、今になってよく分かる。