2385「神さまのこころ」2021.7.7 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんのく2021年07月03日の記事を紹介します

「神さまのこころ」

今日は「神道の修行」についてです。ですが、何も宗教にお誘いしているわけではありません。そもそも神道は教祖もいなければ、経典も無し、ですので神道の最高位、浄階まで登られた、元春日大社宮司、そして医師であった葉室頼昭さんによれば神道のことを宗教とは呼ばないのだそうです。

では葉室さんのお話をもとに書きたいと思います。

神道の修行というのは、難行苦行のお話でもありません。全て心の世界のお話です。
ですから、どこそこの神社や仏閣に行ってお参りしなさいとか、ご祈祷を受けなさい・・などもありません。日々の生活の中で行うものです。

ですが、それは、
・目に見える形があるわけでもなく

・日常生活とかけ離れた特別のことをするわけでもなく

簡単そうに見えて、一番難しいことかもしれません。

神様が置いてくださった、

・今の環境の中で、

・今の人間関係の中で

自分の心を整え、綺麗にし、洗心することだからです。

目に見える派手な奇跡やお金を払い、何処かの誰かの、凄い力に頼ることの方がよっぽど楽かもしれません。ですが、良くなった、好転した、幸せになった。。というのも、一時のことではないかと思います。

なぜなら、私たちは、目に見える世界に生きているようで、本当は自分の心の世界に生きていますから、自分の心が変わらない限り、どのような外部からの力で、方向転換されようと

またすぐに、もとと同じ心が頭をもたげ、同じ現象を引き寄せてしまうからです。

「神道の修行」とは、その心を清浄にするための、日々の心の持ち方の修行です。

世界一長く続いた(1万5千年)平和の時代と言われる縄文の時代は、何をしなくても、

みなピュアで、そのような心を持っていました。

自分の心が清浄になって、神様の光が内から輝きだせば心から発せられる波動が精妙になり、神々の波動に混じり合うことでしょう。

そうなれば、神々と同じ美しく、優しく、愛溢れた世界で生きることができるようになることでしょう。

それほど「心を磨く」=「神道の修行」は、大切なことだと思います。

戦後、日本人は多くの大切な伝統を忘れてしまいました。

外見や結果ばかりを見て、その裏にある心というものを見ていない人が増えてしまったため、今の世の中のように、日本始まって以来の、乱れた国となってしまいました。

敗戦後の日本では、戦勝国によって

・二度と立ち直れないよう、

・反逆できないように

それまでの優れた日本人の精神性を破壊する愚民政策がとられました。

戦後の欧米型の教育の影響で、各家庭で神様やご先祖様に感謝しておまつりするという生活をしなくなり、何事も理論や理屈だけでものごとを考えて感謝の心を忘れてしまった人が多くなってしまいました。

ですが私達日本人は、太古の昔から、先祖の方々によって伝えられている日本人としての優れた遺伝子を既に持っています。それを目覚めさせれば良いだけです。

それでは、今日は、日本の形成外科医の草分け的なお医者様であり、また春日大社の元宮司、葉室頼昭さんのお話をご紹介します。

<引用開始> 引用元 

仏教では滝に打たれたり、断食をしたりする修行というものがありますが、神道(しんとう)には修行というものはありません。こう言いますと神道は楽なイメージに思われる方もいますが、神道では「毎日の生活そのもの」が、強いて言えば修行に当たります。

宗教という概念がなかった太古の昔から続いている日本人の生活そのものです。

常に、毎日の生活の中で「徳を磨く」というのが神道です。徳を磨くというのは「神様、ご先祖様をはじめ、周りの幸せのために生きる」ということです。

日本には柔道や剣道、書道や茶道など「道」と名の付くものがありますが、これらもすべて「徳を磨く」ためにあるものです。

また現代では勉強といいますと、いい大学を出ていい会社に入るために知識やテクニックを詰め込むものとなってしまいましたが、本来は勉強というものも、学問を学んで徳を磨くというのが目的です。

現代では周りのことよりも、自分の利益を第一に考える人が増えた結果乱れた世の中になってしまいましたが、仕事や勉強、スポーツなどあらゆることを通じて、自分の徳を磨くというのが神道であり、私達人間の歩むべき道です。

そして家庭ではこの真実を、子供たちに伝えてゆかなければなりません。

神様やご先祖様にお喜びいただくには神様やご先祖様に感謝しておまつりすることが大切ですが、何か良いことがあった ⇒ 感謝する という順序ではなく、苦悩や病気など「何が起こっても神様のお導きとして感謝する」ことが大切です。
感謝する ⇒ 神様・ご先祖様にお喜びいただける ⇒ お恵みがいただける

というのが真実です。

神社や神棚の前でも神様に「〇〇にしてください」とお祈りするのではなく、理屈なく「ありがとうございます」と感謝することが真実です。

そして徳を磨くには、自分以外の幸せのために生きるわけですが、そのためには自分の我欲を消す必要があります。

仏教では修行をして自分の力で我欲を消そうとしますが、神道では神様の力をお借りして我欲を消します。

自分の我欲を消すには人間の力だけでは難しいので、太古の昔から神道では祓い(はらい)というものが行われています。この祓いというのは、普段知らず知らずのうちに体についてしまった「つみ・けがれ」を神様の力をお借りして、良いものに変えるために行われますが、

この「つみ・けがれ」というのは我欲や理屈から生じます。

毎日、祓いによって我欲を消し、神様とご先祖様、周りの幸せのために生きることが人生で一番大切なことです。

<引用終了>

葉室さんは、こうも仰います。

日々の生活の中では、不安になったり、自分の思い通りにならないときもありますが

そのようなときにも「理屈を考えずに神様とご先祖様に感謝」してみてください。

神様は理屈の無い世界におられるので、どの様な時でも、理屈なく感謝すれば、温かいお恵みをいただくことができます。

逆に理屈ばかり考えて、不平不満を言って感謝しないとその後も、ロクなことが起こらないようになっています。

例えば、自分に落ち度がなくても、誰かを恨んだり、イライラしているとさらに悪いことが起こったりしますが、これは、自分に落ち度がないといった理屈に関係なく、とにかく「恨んだり、イライラして感謝していない」と神様からのお恵みをブロックしているということの現れです。

人生というのは世間で言われているような複雑なものではありません。
ただ素直に、「いつも理屈なく神様とご先祖様に感謝」して生活していればすべて良い方向へ導いていただけます。

良いことがあったら感謝するのではなく、はじめに理屈なく感謝するからこそ、幸福が与えられるというのが真実です。

理屈なく感謝するのは能力や年齢など関係なく誰でもできることです。

神様は難しいことは人間に与えてはいません。これは宗教うんぬんという次元ではなく、この宇宙というか世の中がそのようになっている不変の真実です。

気分がすぐれないときこそ、理屈を考えず、神様とご先祖様に感謝してみてください。

そうおっしゃっています。

感謝の心あるところ、神々の恩寵が現れます。

何か特別なことをしなくても、特別などこかに行かなくとも、日々の暮らし、自分が今置かれた環境の中でこそ、私たちは、心を清め、先祖や、神々に感謝の心を向けたいものですね。