再録 随想 伊路波村から49~今

今、世界はさまざまに揺れているかのようです。

フィリピンを訪問されている天皇陛下と皇后陛下ですが、
出発前後の様子を語る新聞記事やフィリピンでの
歓迎のパティーでのアキノ大統領や陛下の御言葉に、
心がキュンとなったのは何故でしょうか。

アキノ大統領は陛下の心中を慮り、
「当事者でない陛下が、この戦後の70年間の重荷を
背負って生きてこられたことに敬意を表する。」と
述べられました。

貧困が漫画になったり、真にそのような方たちがこの国で
増加してきたり。
子供をあやめる親が増加したり。
公称3万人をこえて、、また不明者を加えれば
戦争で亡くなったかたたちを上回るような累計自殺者の数。

仁徳天皇のように「民のかまどの煙」を見ることもない
政治に携わる方たちや、御役人さんたちを知ります。
世界では異常なる気候に翻弄される人々や、
国を負われ他の国に逃れたら、そこで行き場のない
待遇を強いられる人たち。

同じ地球に同じ時期に共に生かされる
人々が、あまりに異なる状態に生かされることに
心が震えるのです。

みんな自分の心がなしたことでしょうか。
今日本に生まれ60年を超える時間を生かされ、
一体何をなすべきなのか。

この国の人々がどのような形で、どのような道を
歩んでいけば、心から喜べる社会となっていくのだろうか。

さまざまな難題を抱え苦しむ人々や、まだ自我も芽生えないままに
肉体の終わりを迎えなければならない生命体や、
戦争という名のもとで、殺人を余儀なくしている人たちや、
お金だけが目的として食べるものさえ偽る人たちや、
お金が安全に優先する企業風土や、
先の希望を失い、体や心の不調から肉体生命を脱ぐ人たち。
全部自分の姿でした。

ただ祈るだけしかないのでしょうか。
イエスは天に祈りました。
自分をあやめる人たちのことを祈りました。

「主よ彼らを赦してください。
彼らは自分達が何をしてるのか、わからないのです。」

何をしてるのかわからず、互いの人生をみんなが
懸命に生きています。

それでもイエスは赦せといいました。
もしかしたら、自分がなしていたのかもわからない行為。

人間はひとつの生命を生きています。
すべてが自分なのです。

今世界は大きな変革の時を迎えているのでしょうか。

小さな力でも、できるだけのことをしたいと

小さな心が今、思いました。