「76年前の昨日の朝」奥之院通信 R3 8/7

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この日の朝は快晴、日本晴れ。この日、奥の院は予告なしに、原爆で日本人大虐殺を実施した。その時のある少女の手記をそのまま書いておく。この手記を書いた少女は、1945年8月6日、広島の爆心地から1キロ程のところの市電の中で被爆し、その災厄を身をもって味わわされた。

 「その刹那、突然ピカッと光った鋭い閃光に目がくらみ、周囲は毒ガスのような黄色いもうもうたる煙に覆われた。瞬間あたりは真っ暗となり、一寸先も見えない。『ずどどどどーん』と鈍いが、しかし大きな轟音。口の中は砂を喰ったように、ざらざらしていて喉が痛い。
 あたりがうっすらと見え始めたところ、私は必死になって扉を引っぱったけど、扉は一向に開こうとしなかった。薄闇に透かしてみると、眼前には電信柱が横たわり、電線が切れて垂れ下がっている。しばらくして、ふと後ろを振り向くと、びっくりした。
 電車の中は私一人で、後ろの扉が開いて、乗客は皆そこから出てしまって誰もいない。電線は鉄条網のように地面に散乱し、福屋(広島市の1番大きなデパート)の内部からは、赤い炎がめらめらと燃え上がっている。障害物をくぐり抜けて、やっと道路に出た私は、2歳ばかりの子供が、血だるまになって、もだえ苦しみながら母を呼ぶ姿に目をとめた。
 自分の母親の面影が頭に浮かんだ。家に帰ろうと東の方を眺めると、何と表現しても形容し尽くせないような、真っ黒な巨大な入道雲が、ムクムクと湧き上がった。『だめだ・・・』しばらくの間、ぼう然と突っ立っていた私は、ひょっと自分の体を見た。
 無い!ーーー手に持っていた袋が、履いていた下駄が。ただ一つ救急袋が、肩からぶら下がっているだけだ。子供の泣き声、家屋のくずれる音、男女の怒号・・・。眼前に見える真っ赤な血の色、放心したような顔つきでのろのろと走り去る人々の群れ・・・。さて、どこへ行こうか?私は皆の行く方へついて走った。西練兵場を通り、それからどこをどう通ってか、泉邸裏の川岸へ出た。
 しばらくすると両岸の家が燃えだした。向こう岸の砂浜まで泳ぎ渡ると、張り詰めていた心が緩んで、その場にばったりと倒れてしまった。その時である。『ビュービュー』と吹きまくる、ものすごい風とともに、ザーザーと墨のような雨が降り出した。
 その奇怪な雨は、体に当たると、まるで石ころで叩かれたような痛さで、灰色の空から夕立のように激しく降り出した。その間も頭の上には、どんどん火の粉が飛んでくる。水際に行こうとして立ち上がったと思った瞬間、私の体は強風に吹き倒されてしまった。
 もう駄目だ!と思った私は、両手で顔をおおい、地面にうつぶせになった。熱い火の粉が足に落ちかかるが、体を吹き飛ばされそうで、払いのけることも出来ない。火の粉といっても、大きな火のかけらが、雨のように降ってくるのだ。
 その熱さ、その痛さ。とうとう我慢しきれなくなって、どうにか水のあるところまで行こうとして立ち上がった拍子に、私の体はまたもや熱風に吹き飛ばされてしまった。どうしてあの時のことを、この私の筆で書き表すことが出来ようか」(『原爆の子』桑原洋子)
 奥の院はこの原爆虐殺を「戦争を早く終わらせるため」といっているが、それは後から考えた言い訳の嘘話である。戦争は既に終わっていた。そのことを一番よく知っているのは奥の院である。ソ連に終戦の仲介を依頼していたことでも分かる通り、日本は終戦の声を上げ続けていた。しかし、「原爆を落とすまで戦争を終わらせるな」とフランクリン・ルーズベルト大統領は厳命していた。どうしても、原爆の威力と原爆による人体実験を、しておきたかったのである。史上最大の戦争犯罪が実行された瞬間であった。
 しかも、これが大きな戦争犯罪でありながら、その犯人が一切の処罰も受けていない。犯人の特定すら行われていない。被害国である日本国も、犯人特定の努力を一切していない。このことは、このような巨大な犯罪が再度行われることに対するハードルを、著しく低くしている。このことが大問題なのである。
 奥の院は、世界の主要国に夥しい数の核兵器を持たせている。その数を合わせるとゆうに1万発を超える。これが奥の院の命令でいつかは使用される。世界を10回全滅させることが可能である。しかも、今のところこれを削減させる気配は全くない。そのための会合を開く気配すらない。もちろん、メディアも全く触れない。この点だけ見ても、全てのメディアは奥の院に支配されていることが分かる。
 今のところ奥の院は、更に大きい効率の良い核兵器を開発する意欲だけを見せて、予算を組み、それを実行している。そろそろ、日本が唯一の被爆国として、まじめな声を上げて欲しいものである。それが日本政府の、日本のメディアの責務かも知れない。もちろん、全人類の生存のためにである。
2度とこの悲劇を繰り返してはいけません。