カルパの時を歩く・・

平成15年ですから18年前のお盆の時に
慈藹塾(じあいじゅく)の行事として
初めてkさんの木曽駒カルパに集いました。

それから毎年開催されることをKさんは
赦してくださいました。

毎年毎年楽しみでした。

「カルパ」とは劫(こう)といい、サンスクリット語であり、
また仏教言葉のようです。
本来は無限の時間の意味。

その「カルパ」は実は「万事如意」を表すと
聞いたことがあります。
そうですね、この世界には時間も空間もなく
ですから無限時間がないのですから、
目の前のことはすべてあなたの思った通りですよ~~と
いう意味で「万事如意」。

そして「今」が無限ですから。

この曲線の木造建築「カルパ建築」は建築家小西
さんが始めたことです。

自然界には直線はない。
だから人が住む建物は住みやすく50年も100年も
住み続けることが出来るものでなければ、というのが
カルパの建築思想です。

聖路加病院の設計施工管理のリーダーを最後の
一般建築の仕事と決め、小西さんは大手建設会社を
辞し、バリ島への旅に出ます。

その旅でT子さんとの運命的な出会いをします。
何か旅の仲間で氣になったT子さんとのバリの浜辺での
会話の中で、お二人は過去同じ日に同じ夢を見たことを
知るのです。

「光の家で光の食事をとりなさい」

旅が終わり二人は共に行動することになり、
初めてのカルパである蓮のつぼみのかたちをした
家を和歌山の橋本に建築し住み始めます。

T子さんの肉体はあと5年との告白が前もって
あったのにです。

3年の時が過ぎ、いよいよカルパの本拠地へと
移動する時期が来たと、T子さんは啓示を受けます。

「そこは敷地に川が流れ、木の花がハラハラと落ちてくる場所」

残された肉体の期間はあと2年に迫っていました。

各地を探し回り、岐阜県中津川市の「博石館」の少し
先にある山中にその地を見つけ、決めました。
今の「カルパ建築研究所」の地です。

敷地には小川が流れ、季節には岐阜の県花ハナミズキの花が
舞いながらハラハラと落ちていく場所でした。

すでに肉体を脱いだK子さんとのお別れが済み、
新しい場所での「カルパ」に住み始めた小西さんを
初めて訪問した日、家の右側にある森へと続く小道の
先の空間がとても気になって、カメラに収めました。

まだフィルムカメラだったその写真の中には
天から降り注ぐ優しい光で満たされたその場所が
映っていました。

さらに後日カルパにお人をお連れしました時に
小西さんにその場所のことを聞きます。

「あの場所ですがこの前ものすごく輝いて
みえたので写真を撮りましたら、やっぱり
優しい光が映っていました・・・」

「ああ、あそこはT子が肉体が亡くなったら
あそこに観音堂を建ててと言った場所です。
今日その観音堂の心柱が来たところです」

倉庫には白い布で包まれたT子さんの心柱が
横たわっていました。

その後さまざまな方々をカルパ建築研究所にお連れしました。
建築がすでに決まっているかのように展示された
模型を見て次々に建築意志の決定をされる
お施主さんが現れました。

同じように木曽駒カルパのKご夫妻も意志を
決定されたようです。
お二人は自宅と木曽駒の地にカルパ建築を
建てると決められました。

カルパでの集いはもちろん完成してからですが、
多くの方々が訪れるであろうそのカルパに
始めにご招待を受けて4人だけで伺った日を
思い出します。

今は亡きS女子そして慈藹塾仲間のI女子
もちろんKさんの奥様とそれぞれ一部屋に
一人が与えられました。
その日は鮮明な思い出となって今に蘇ります。

この18年間さまざまなことが「カルパの集い」で
ありました。

「起きうるすべての出来事を受容しさらに歩む」

そのことを教えられた「万事如意」のカルパであったと
思い返します。

お人とのご縁。
起った出来事。
そしてそのことに人々がどのように
行動し、また思ったのか。
全ては意のまま。

激しく楽しくおもしろく、魂が震え、無償の愛に
満たされ、集える幸せを思います。

カルパの時はずっと頭の中にあります。

この場と、ご縁の提供をいただいたkご夫妻に
心からの敬意を表します。

長い間ありがとうございました。