人間の偉さというものは、その人がいかなる志を立て、それを如何ほどまで実現するかによって決まるとも言えましょう。否、さらに突きつめて申せば、そもそもわれわれ人間の志というものは、その人が真に心中に希うだけは、必ず実現するものだともいえましょう。すなわち一人の人間が、真にその心中深く念じて止まぬ事柄というものは、必ずやいつかは、何らかの形で実現せられるものであります。
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われわれ人間は必ず死ぬものであり、人生は永遠に二度とふたたび繰り返すことの出来ないものだということは、古来かって一人も例外のない人生の最大鉄則であります。この人生の最大鉄則に向かって、如何にわが身を処して行くかが終生の課題です。
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親はわが肉体を生み与えられたものとすれば、真の師は、まさにわが魂を生み給うた「魂の親」とも言えましょう。即ちわたしどもは、親によってこの地上への第一の生誕をうると共に、真師に巡り逢うことによって、そこに第二の誕生、すなわち魂の生誕をうるともいえましょう。
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随って、真の弟子というものは、自分の生涯をかけて、師の意志を継承する者でなくてはならぬでしょう。この覚悟、すなわち自分の生涯をかけて師の精神をわが身に受け止め、さらにこれを世の多くの人々に伝えよう、との決心の打ち立てられない間は、いまだ真の弟子とは言い難いのであります。またかくの如くでない限り、真に道を学ぶ者とは言い得ないのであります。げに道とは、このように生涯を賭けての決心と覚悟によってのみ、初めて人より人へと伝わるものであります。