「犠牲の真の意味はなにか」
真理においては「犠牲」という言葉自体は
まったく無意味ですね。
それは一つのレッスン、そして幻想でしょうか。
実相においては学ぶべきことはひとつもない。
この世界が与えることのできるものは何もない
という事実を悟り、受け入れるには、多大な学びを
必要とするようですね。
そしてこの世界が定義する犠牲で、肉体に関連
しないものは皆無でしょうか。
一体大人が子供の玩具をあきらめるのを嫌がるでしょうか。
神の教師たちが世界の楽しみをあきらめるのを残念に思うことは
ありえませんね。
権力、名声、金銭、肉体にまつわる楽しみなど、
これらすべてのものの所有者である「主人公」とは
誰でしょうか。
こうしたものは、肉体以外のものにとって、何の意味が
あるのでしょうか。
これらの「楽しみ」のすべてが無であると理解することができたら、
これこそが犠牲でしょう。
世界の価値観に対して、彼は自分の平安のすべてを犠牲に
してい、自分の自由のすべてを犠牲にしていますね。
「犠牲とは幻想を信じることの代償である」
真理を否定するために支払わなければならない代価である。
犠牲とは全面的なもの、中途半端な犠牲はない。
「犠牲の真の意味はなにか」