「1本のホウキが生んだ奇跡」 いっぷくからのありがとうさんの一年に一度の記事

「1本のホウキが生んだ奇跡」のお話です。

<転載開始> 転載元 

何も見えず、何も聞こえず、何も話せない。完全な闇・・・

三重苦という重障害をもちながら、アニー・サリバンという最高の教師の力を得て、

目覚め、成長し、世界中の福祉に貢献した、誰もが知る偉人。

彼女の名は ヘレンケラー

彼女の存在が、どれほど世界中の人に愛の力をおよぼしたか、どれほど多くの人々を救ったか、ですが、このお話は、そのヘレンケラーのことではなく、ニュー・イングランドにある精神病院で働く名も知れぬ、普通のお掃除のおばさんのお話なのです。

彼女の働く病院の地下室には、「緊張型精神分裂病」と診断された10歳の少女の患者がいました。

何に対しても、反応を示さず、ただ暗い地下室のベットに、うずくまっているだけ。

少女は、もう回復の見込みはないと考えられていました。

世界から見放され、一言も話すことなく、胎児のように、丸まったまま、決して動こうとはしなかったのです。

以前はとても可愛らしい少女だったのですが、いまや、日々やせ衰えていくばかり。

彼女は、そんな少女の個室のまわりを、毎日掃除をしに、やってきました。

そして、ドアの下のすきまから、食事をホウキの柄で、中に押し込みます。

彼女にも同じくらいの歳の娘がいたせいか、少女を不憫に思いますが・・

そこはただの掃除婦、何もしてあげることはできません。

そこで彼女は、せめてそこを去る前に、うずくまる少女の肩をホウキの先で、そっとつついてあげることにしました。

「ねえ、あなたは一人じゃないんだよ! 少なくとも、ここにあなたを気にかけている人間がいるんだよ」

そういう思いを、伝えたかったのです。

掃除のおばさんには、この程度のことしかできませんでした。

ほんの小さな愛の実践です。

ホウキの先ほどの・・・そんなことしかできませんでした。

でも、その程度のことしかできなくても、ただただ、伝えたかったのです。

だから、くる日もくる日も、彼女はホウキの先で、その少女を、優しくつつき続けました。

そして、何週間か経ったある日のこと、小さな変化が起こりました。

ただ死を待つばかりだった少女が、なんと自分の手で食事を受け取るようになったのです。

さらに時が経つにつれ、少女は座ることもできるようになり、掃除婦のおばさんと話をすることまで、できるようになったのです!

こんなことって、ありえるのでしょうか?

偉いお医者たちでも、完全にお手上げだったのに?

こうして少女は、やがて奇蹟ともいえる回復をとげることができたのです。

それから何年か経った、あるうららかな春の日。

その精神病院の院長は、アラバマ州のひとりの紳士から、ある依頼を受けました。

その紳士のお子さんが重度の障害児で、世話をしてくれる人を探しているというのです。

その頃、あの奇跡的な回復をとげた少女は、20歳を過ぎていました。

院長は、自信をもって、その彼女を、紳士に紹介しました。

彼女の名は、アニー・サリバン。そう、ヘレン・ケラーの偉業を生みだした教師です!

地下室で、ただ死を待つしかなかった、あの少女です。

それは 小さな種だけど、小さきものが、種となりて、多くの豊かな愛の花を咲かせている

その有名な人の、その元の元になるお方が、名も無きお人が、きっといる。 

ヘレン・ケラーを世に出さしめたアニー・サリバン女史。

そのアニーサリバン女史を世に送ったのは、なんと一本のほうきで愛を伝えた、掃除のおばさんでした。

<転載終了>

今あなたは、目の前の人に関心を持って接していますか?

「ねえ、あなたは一人じゃないんだよ!

少なくとも、ここに、あなたを気にかけている人間がいるんだよ」

そんな思いを伝えていますか?

ほんの小さなことでも、自分の出来る愛を尽くしていらっしゃいますか?

三重苦を克服したヘレンケラーは世界中の人に、愛の力を及ぼしました。

そして、苦しみの中に泣いている多くの人を救いました。

そして、そのヘレンケラーにつきっきりで愛を注いだ人がサリバン先生でした。

サリバン先生の大きな愛により、ヘレンは、症状は改善することがなくとも、人生に希望を見出し、自分の中に、神様を見つけたのでした。

そして、そのサリバン先生が、「緊張型精神分裂病」という病気で、暗い地下室で一人隔離されていた時に、愛を届けてくれたのが一人の掃除のおばさんだったのです。

まさに、これが神様のやり方です。

小さな小さな身近な思いやり。愛が、大きな大きな愛に育ちました。

その結果、沢山の方が光に包まれました。神様に触れることができました。

もちろんヘレンやサリバン先生の、強い精神の力もあったことでしょう。

ですが彼女たちは、一時は見捨てられ、絶望の淵、死の間際に居たのです。

そこに神様の息吹を吹き込んだのは、1本のホウキによる小さな、小さな愛でした。

私たちは、自分が当事者で、苦労の渦中にあると、どうしても自分のことしか見えません。

その苦しい現象しか見えません。

ですが「ピンチはチャンス」と言う通り、神様は、その苦労の後ろにこそ、大きな大きな

プレゼントを用意して待っています。

それは苦しい環境に対する、不平、不満、愚痴、呪いの言葉ではありません。

そのような状況下であっても、

他人に対する

優しさ、

思いやり、

感謝の気持ち、

「ありがとう」の気持ちです。

それに気付いた時、苦労が大きかった分、きっと大きな大きな愛と幸せに包まれることでしょう。それが神様のなさり方です。

<エピローグ>

サリバン先生が幼いヘレン・ケラ-をひざの上に乗せて、「愛とは何ですか?」 と質問しました。

三重苦の彼女にとって抽象的な概念を理解するのは難しいことでしたが、その時ヘレンはこう答えたそうです。

「サリバン先生が初めて私の家に来てくださった時、私の頭の上に何か温かいものが流れ落ちました。それが愛です。」

サリバン先生が、ヘレンの上に流した涙は、石のように頑なになっていたヘレンの心を砕き、

氷のように冷え切っていた彼女の心をとかしたのです。

どんな力や権威でも、また、どんな知識や能力、医学や技術でも、どうすることもできなかったヘレンの心の戸を開いたのは愛でした。