2565「天国と地獄」2022.1.2 自分で自分を自分するから

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6歳の神様トキ君の小学生のお姉さんも、神様が見え、そしてお話しできる能力があります。

そのお姉さんに神様がみんなに知らせて欲しいと「心の糸」について説明してくれました。

この動画の中でこんなお話がありました。

糸を魂の部屋に作ってください

・この糸を持つ人は

  →天国に行ける人、

  →もしくは自分が地獄に落ちた時に、地獄まで垂らされて、自分を天国に引き上げてくれるための糸

・これは芥川龍之介の書いた小説「蜘蛛の糸」にも出てくるが、本当のお話

・この糸の色は千差万別で人によって異なる

・地獄から人を助ける唯一の方法が、この糸を使う方法

・この糸は一人分の重さしか耐えられない

・地獄で、自分以外の人が群がって、この糸に上ると、重さに耐えきれずに切れてしまう

・もしくは地獄の管理人の悪魔に見つかると切られてしまう。

・自分の色の糸が垂らされると、神様が「あなたの番です」と自分にだけ知らせてくれる

・この糸を心の部屋に作るには

 →魂を磨くこと

 →自分のやりたいと感じたことは先延ばしせずにすぐに行動に移すこと

 →なんだか嫌だなと感じたことはすぐにやめる事

・助けてくださるのは、蓮の花に乗っている仏様

動画の中では、トキ君のお母さんも、お姉さんも

これが「蜘蛛の糸」と言う小説と同じだと知らなかったようです。

ですが、この神様のお話は、まさに芥川龍之介の「蜘蛛の糸」と全く同じです。

(1918年 作品公開)

この小説は仏教説話がもとになっているようですが、昔の人で、天国や地獄に自由に行けた人が、神さまの意図を感じ取って小説として残したものでしょう。

それが現代において、そのような事実を全く知らない小学生の口から聞くとますます、その信ぴょう性が高まります。

この内容と同じことを今年の9月ですが、記事として公開していましたので再掲したいと思います。

私たちは辛いこと、悲しいことがあると、藁にもすがる思いで神社や仏閣に行って、「助けてください」とお願い事をしたり、大金をはたいて、力がある人に頼ったりします。

本当に苦しいときに、その境遇から救い上げて欲しくて

「助けて、助けて、助けて」と言うのは

私たち弱い人間にとって、当たり前のことかもしれません。

ですがそれを言われた神様や仏様はどんなお気持ちになるでしょうか?

神様は、大変に愛深く、慈悲深い方ですので、もちろん助けてあげたくなるでしょう。

今すぐにでも、その窮地から救い出し、安心できる場所へ置いてあげたいと思うでしょう。

ですが、大事なことなのですが、例え神様が救ってあげたいと思っても、 私たちの心に、その準備ができていなければ神様もどうして上げることもできません。

ではまず、皆さんご存知の「三尺三寸の箸」のお話をご覧ください。

<引用開始> 引用元

むかし、ある男がえんま大王様に会いに行き、天国と地獄というのは、どういう世界なのかを聞きました。

すると、えんま大王様は、男に、天国のようすと地獄のようすを それぞれ見せてくれました。

まず地獄では、ちょうど食事の時間だったので、人々が、ながーい箸を持って大きい鍋の前に集まっていました。

この地獄では、ながーい箸で食事をしなければならない決まりなのです。

地獄では、お腹を空かせた人たちが我先にとテーブルに着き、

1メートルもある長い箸を使って、なべの中のごちそうをとって食べようとするのですが、

あまりにながーいので、どうしても自分の口にごちそうがとどきません。

腕をいっぱいに伸ばして口に食べ物を運ぼうとすると、

隣の人とぶつかってせっかく掴んだ食べ物を落としてしまうのです。

それでみんな、何も食べられずおなかをすかせ、やせこけています。

思うように食べ物を口にできない人たちは、さらに苛立ってきて、

「お前が隣にいて俺の食事の邪魔をするから食べられないんだ・・・」「お前こそ俺の邪魔をしているぞ」

さらに、他の人の食べ物を横取(よこど)りしようとして、とうとう喧嘩です。

手にしている長い箸は、やがて相手を叩く道具に変わり、

そうこうしている間に食事の時間が終わってしまいます。

えんま様は、次に天国を見せてくれました。

天国も食事の時間でしたので、人々は地獄と同じ、ながーい箸をもって、地獄と同じ、大きい鍋の前に集まっていました。

天国でも、ながーい箸で食事をしなければならない決まりなのです。

天国の人々は、おだやかな顔をして楽しそうにごちそうを食べていました。

長い箸で食べ物を掴むとそれを自分の口ではなくて、向かい合って座っている人の口へ運んでいるのです。

「美味しいですね。今度は私があなたに食べさせてあげます。どれがよいか言ってください。」

長い箸で食べ物を挟むと、自分の前に座っている人の口へ運んでいます。

相手も、その長い箸で食べ物を挟んでは、自分の前の人の口へ運びます。

長い箸は自分のために使うのではなく、相手のために使っていました。

こうして、ながーい箸で、おたがいに仲良く、他の人とごちそうを分けあっているので、

みんなが感謝の気持ちで、いつも笑顔が絶えず、食事も十分、お腹いっぱいです。

えんま大王様は、地獄にいる人々は 自分のことばかり考えているために、

いつまでもけんかをして何も食べられないのだ。

天国の人々は いつもニコニコ笑顔で、仲良くお腹いっぱいなんだ。と教えてくれました。

自分の心の持ちようでこの長い箸は、

相手に対する思いやりの道具にもなれば、痛めつける道具にもなるのですね。<引用終了>

このお話の「心の大切さ」は、ブッダのお話にも、イエスのお話(黄金律)にも、

そして不動明王の「奴僕(ぬぼく)の行(ぎょう)」でもその大切さが言われています。

芥川龍之介の「蜘蛛の糸」に出てくるカンダタが、

もう少しで地獄から天国に上がれるところで再び地獄に落ちてしまったのか?

せっかくブッダ(神さま)が手を差し伸べてくださったのに自分の心が変われず、

・自分さえ良ければよい

・自分さえ助かればよい

・人など、どうなっても良い

という心のままでいたからです。

このことは、死後も覚えていたほうが良いと思うのですが・・・

自分の心さえ変われば、例え地獄の底に居ようと、一瞬で光が差し込み

私たちは天の国に助け出されます。

心が変わるとは、

・自分さえ良ければよい

・自分さえ助かればよい

そんな心から、

・周りの人たちに対する思いやり

・いろんな人、神々からの援助で今の自分があることへの感謝の心

そんな気持ちに切り替える必要があります。

藁にもすがる思いで神社や仏閣に行って、「助けてください」とお願い事をしても、

神々は、助けることができません。

全ては、私たち自身が、自分の心を変えるところから始まります。

自分の事ばかり考えていると、心をむしばみ、神様から離れてしまいます。

自分の悩み、苦しみは、少し脇へ置いておき、自分の周り、半径3mの人のことをいつも考え、どうしたら喜ぶか、笑顔になるか、考えていると、自分の心が神さまの道に進み、自分も相手も、みんなが笑顔で幸せになります。

そして、いつの間にか、自分の悩み苦しみも消えてしまいます。