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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年01月27日「お迎え」と2022年01月30日「与えることから始まる」の2つの記事を紹介します。
「お迎え」
今日のお話は、「お迎え」と言うことで、生まれる前に居た場所に帰る時のお話です。
東京大学名誉教授で、長く救急・集中治療などの臨床医として活躍されていた矢作直樹さんのお話よりご紹介します。
<引用開始> 引用元
東大病院の救急で、あるいは東大病院に来る前の勤務先で、私は多くの方を看取ってきましたが、今まさにこの世にお別れを告げようとしている人は、まるで何かを見つけたような、
ちょっと驚いたような表情に変化する方が、少なからずいらっしゃいました。
何かを見て顔をほころばせたように、思えた方もいらっしゃいます。
お別れの時が近づくと、ちょっと不思議な経験をすることもあります。
在宅緩和医療の第一人者と称される岡部健先生のグループは、10年以上かけて医療スタッフや研究者の協力を得た上で、患者さんの家族にアンケート調査をおこなってきました。
調査のテーマは、「お迎え現象」です。
すでに亡くなっている両親や身内が枕元に立つ、姿を見せる、といった現象です。
調査(回答者数は541人)では、自宅で亡くなった方の42%が、何らかのお迎え現象を経験したそうです。
うち52%が肉親など身内を迎えたそうで、なかには光、あるいは仏といった、崇高な存在との遭遇も報告されています。
仏教には「三世因果」という考えがあります。
三世とは、前世、現世、来世という仕組みを指しますが、何らかの原因があって結果がある、
といったそうした仕組みを詳細に理解できなくとも、そういうものなのかな、と軽く信じるだけでいいのです。
この人とは前世でも何らかの形でご縁があったのだろう、だから今(現世)、こうして一緒にいる、そして来世でも何らかの立場で関わるのだろう…、
そう考えるだけで、これまでの時間、さらに現在の時間が価値あるものへと変化します。
私たちは、肉体死を迎える際、いわゆる「私たちの本体」である魂が肉体から抜けて、元いた世界へといったん戻り、そこで次の生へと向う準備をすることになります。
これが輪廻転生です。
こういう話をすると、初めて聞かれる方はびっくりされるかもしれません。
しかし、そろそろ本当のことを知るべき時代が来ているということ、
本当のことをちゃんと知らないと、死ぬことが「つらさ一辺倒」である事実がいつまでたったても変わらないということ
を考慮し、私自身もあえて書いています。
だからと言って、今回の人生を粗末に適当にやり過ごそうなどと思っていません。
今回の人生は今回限りだからです。それがいつかはわかりませんが、肉体死を迎えるその瞬間まで、私は全力で生きようと思っています。
<引用終了>
矢作先生は勇気がありますね。東京大学医学部の教授という立場から、このような発言をされています。今までかなり、誹謗中傷、バッシングもあったことでしょう。
ですが、1945年の敗戦までは、日本全国のご家庭では、仏壇があり、祖先の霊を祀り、大自然の中に、八百万の神々を感じ、謙虚に自然と、周りの人々と調和して生きていました。
それが日本人の強さでした。
その日本人の精神と、肉体の強靭さを恐れた人々が二度と、立ち上がれないように、戦後処理を行いました。(「3R・5D・3S」政策)
日本人は、誇りを失い、世界に類を見ない、高い精神性を失いました。
ですが、戦後70年もたちました。
矢作先生が仰るように、もう真実は隠しきれません。真実を知ることで、より良い人生、
お互いさま、お陰さまの助け合いの人生、優しい社会を取り戻せるかもしれないからです。
戦後、日本は資本主義と言う名に隠れた狡猾な勢力に飲み込まれてしまいました。
それは、明治維新のころから着々と計画されすすめられてきました。
・お金が全て
・自分さえ良ければ人は、どうなってもよい
・人を蹴落とし競争に勝て
・自分が持っていないものをリストアップし、努力して得よ
でも、人間も捨てたものではありません。 そして、日本の神々も黙ってはいません。
様々な分野で、様々なレベルで真実が語られるようになりました。
鉄の鎧のように見えた所に、あちこちに、ほころびが見え始めました。
生まれる前の記憶を持つ子供たちが全体の 1/3 もいるそうです。
そして彼らの語る、人間として生まれて来た目的は
・お母さんを助けるため
・人の役に立つため
・魂を磨くため.
なのだそうです。
魂の永遠性、身近な周りの人々との、生死を越えたご縁
そんなことに気がつけば、矢作先生の仰るように、よりよい人生が送れるかもしれませんね。
「与えることから始まる」
今日はマザーテレサと、ブッダのお話をご紹介します。
まずは、マザーテレサ。
財団法人富士福祉事業団 理事長 枝見太朗さんのお話です。
<引用開始> 引用元
マザー・テレサは50年近く「貧しい人と共に生きる」という活動を続け、
それが評価されてノーベル平和賞を受賞しました。
僕は約15年間、彼女と一緒に仕事をしたのですが、常に目の前にいる人、本当に最も身近な人を助けていました。
「お砂糖坊やの捧げ物」という有名なエピソードがあります。
マザーの孤児たちの施設「シシュ・ババン(聖なる子どもの家)」に、
ある時、裕福そうな夫婦が3歳くらいの坊やを連れて見学に来られました。
そのお父さんが「一番足りないものは何ですか?」と聞くと、
マザーは「子どもたちが食事をする時のお砂糖です」と答えました。
家に帰った坊やは、次の日から毎日のお茶の時間に、
自分の飲む紅茶に入れるお砂糖を、その分だけ小さなビンに入れていきました。
そして再びその家族が施設を訪れた時、
坊やはお砂糖がいっぱい溜まったビンをマザーにプレゼントしました。
マザーは大喜びでした。
すでにそのお父さんから大量の砂糖を寄付してもらっていたのですが、
「お父さんからいただいたお砂糖も大変嬉しかったけど、
私はこの小さなビンに入ったお砂糖が何倍も嬉しい」と言っていました。
それからマザーは、
「あの小さな子どもが施設の子どもたちの痛みを共に分かち合って、
自分が我慢をして溜めたお砂糖は、何トンものお砂糖よりも重いものです」と
修道会でよくお話をしていました。
この「お砂糖坊や」の視点は、「持てる者が、持てない者へ」ではなく、
「共にその痛みを分かち合うことの必要性」を言っているのだと思います。
日本では「ボランティア活動=奉仕活動」と理解されています。
でもボランティア活動は、実は奉仕活動とは意味が違うんです。
それは「持てる者が持てない者へ、力の強い者が力の弱い者に施す」感覚ということです。
そんな「奉仕活動」に象徴されるような考え方が
日本の福祉の発展を大きく妨げてきたのではないかと私は思っているんですね。
「お金のある人が寄付をすればいい」と思っていると、
寄付をもらいにいく時にどうしても企業やお金持ちの家に行ってしまいます。
ところがマザーはそうじゃないと言うのです。
「貧しい人、貧しさを知っている人たちから、少しずつでいいから、その痛みを分かち合ってもらえるような寄付の集め方をしてごらんなさい」と。
<引用終了>
このマザーテレサの教えてくださったことは、ブッダの教えの、「托鉢」と同じものです。
托鉢とは、笠をかぶったお坊さんが、家々を回ったり、道路の脇に立ち、手に鉢をもって、その中にお布施を頂くというものです。
ブッダは、托鉢に向かう弟子たちに、こう言いました。
お金持ちの家ではなく、貧しい人たちの家を回って、托鉢をしてきなさいと。
弟子たちは、驚きました。
「お金持ちの家から、お布施を頂くのではないのですか?」
ブッダは弟子たちに、こう言ったそうです。
貧しい人たちというのは、今まで、自分が貧しいと思って、
他人に対して、施しをしてこなかった人たちである。
それ故に、貧しさから抜け出すことができずにいる。
だから私たちが布施をいただきに行くのは、このような貧しい人たちを、
その貧しさから救ってあげるためなのだから、貧しい人の家を回って来なさい。
托鉢に金額は関係ありません。
これも宇宙の法則 与えるものが、受け取るもの と同じです。
貧しさから抜け出す最初の一歩は、まず他人が喜ぶことを、
自分から、先にすることなのかもしれません。
だから托鉢は、お坊様たちが自分たちで食べるものを、もらうために行う行為ではありません。与えるものが受け取るもの この言葉が意味することはひとつ。
全ては、自分が与えることから始まるということ。
これは、財産だけでなく健康や、幸せもそうかもしれません。
・健康でない時
・いじめにあっている時
・家族で病気の方がいる時
・経済的に苦しい時
人は、自分が幸せではないと思って、他人に対して、笑顔や、やさしさ、思いやりを
施してこなかったかもしれませんね。。
ですが、これを機会に、
・不平不満、愚痴、悪口を口にせず
・人の幸福を喜び
・人の悲しみに、ともに涙し
・日々の糧を与えてくださる神々に感謝し
・苦しみや、悲しみの出来事を起こし、魂を磨こうとしてくださる神々に感謝し
・ともに、笑い、泣いてくれる家族や友に感謝し
一日を過ごしてみませんか
きっと運命が良い方向に向かって回転していくと思います。