奥の院通信から R4 3/8 「ロシアは日本が辿った道を歩まされるのか」

https://okunoin.fc2.net/blog-entry-869.html

最近、ある評論家が言った。「ロシアは日本が80年前に行った真珠湾攻撃を行った」と。ある意味、彼の言うことは当たっている。ロシアを追い詰めて暴発させているのである。プーチンがこの歴史を知らないはずはない。だからあの時の日本と同じ道を歩まされることだけは避けたいはずである。

 最近ある動画が、アメリカの経済・歴史学者ロバート・ヒッグス博士(77歳)の演説を上げていた。彼は、日米開戦の責任は完全に日本にあるのではなく、アメリカにも大きな責任がある、と主張している。これでも、彼は当時の奥の院・ディープステートに肩を持った言い方になっているが、大変参考になるので紹介する。長いので何回かに分けて書くことにした。以下がその内容である。

多くの人は、形式的なことばかりに惑わされています。例えば、「1941年12月にアメリカが宣戦布告するまで、アメリカはドイツや日本と戦争をしていなかった」と思い込んでいます。実際には、宣戦布告をする前から、アメリカはずっと戦争をしていたのです。その戦争遂行は、さまざまな形で行われていました。

 例えばアメリカ海軍は、イギリスへの主要な航路である北大西洋上で、イギリス艦船とともに、いわゆる「警告なし攻撃」を行っていました。ドイツのUボートは、アメリカ艦への攻撃を控えるように厳命されており、実際に控えていたにもかかわらずです。米英は、情報の共有、兵器の共同開発、軍備の合同訓練、戦争に関するその他の協力の取り決めなどをしていました。アメリカ軍はドイツ軍に対する戦闘行為において、イギリス軍と積極的に協力し、例えば、ドイツ軍の戦闘機や潜水艦の情報をイギリス海軍に知らせ、イギリス軍がそれらを攻撃していました。

 アメリカ政府は、ドイツ軍と戦っていた英・仏・ソ連に対して、数え切れないほどの方法で、軍事物資などの提供や援助を行っていました。また、日本と戦っていた支那にも、軍用機やパイロットをはじめとする、軍事物資の提供や援助を行っていました。米軍は、英国・英連邦諸国・オランダ領東インド(現インドネシア)と共に、将来の対日本共同作戦計画を積極的に練っていました。

 最も重要なことは、アメリカ政府が一連の厳しい経済戦争を展開し、日本を苦境に追い込んだことです。米・英・蘭に禁輸された主原材料を確保するために、日本が太平洋地域の米領や米軍への攻撃を強いられることはよく分かっていました。

 作家のジョージ・ビクターの文章を紹介したいと思います。ちなみに、ジョージ・ビクターは決して「反ルーズベルト」ではなく、その逆です。彼はルーズベルトを非常に尊敬し、ルーズベルトがアメリカを戦争に巻き込むためにとった行動も、全面的に支持しています。そのため、私は彼を「信頼できる情報ソース」と考えています。勿論、彼は私の研究のために書き残したわけではありません。
『Pearl Harbor Myth』(パールハーバー神話)という素晴らしい本を書いており、その内容には偽りがなく、価値の高い資料です。ジョージ・ビクターの著書から抜粋した長い文章を読み上げます。

『ルーズベルトは、1941年春には既にアメリカをドイツとの戦争に導き、小規模の銃撃戦を発生させていた。それ以降、彼は徐々に米軍の関与を増やしていった。12月7日の日本による攻撃のお陰で、宣戦布告にまで、こぎつけることができた。真珠湾攻撃は、長きに渡る一連の事象の結果と考えれば、すべて説明がつく。

 アメリカは、1941年春のフランス(パリ)陥落後に策定された戦略に沿って仕事をした。しかしその戦略は、ルーズベルトや彼のブレーンにとって、むしろドイツの対米宣戦布告を正当化してしまい、望まざる結果を招くように思えてきた。ルーズベルトは駐仏大使ウィリアム・ブリットに「アメリカの対独参戦は確実だが、ドイツがそのきっかけを与えてくれる時まで待つ」と伝えた。

 敵が先に発砲したという既成事実を作ることが、ルーズベルトの戦術の一貫したテーマだったからだ。日本の方がドイツよりも米国に対する大規模な攻撃を誘発し易いことが分かったので、結果的に彼は正しい結論を導き出したようだ。』

もう少し引用は続きます。
『米国が挑発していないのに日本が米国を攻撃するという展開は、出来すぎたシナリオだった。アメリカ国民は、日本がアメリカの反日政策に反発して戦争を引き起こすことを、アメリカ政府が期待していたとは知らなかったので、うまくいった。

 そして1941年7月から実行に移された。アメリカと戦争すれば負けること、そしてそれが悲惨なものであることを予期していたので、日本の指導者たちが必死になって交渉していたことは、ほとんどの歴史家が以前から認めている。

 一方、ルーズベルトとハル(国務長官)が執拗に交渉を拒否していた証拠も出てきている。日本は数々の妥協と譲歩を提示したが、アメリカはそれに対してさらに要求を強めていった。
 「この交渉が決裂すればもう戦争しかない」と日本政府が閣議決定したことを知ったルーズベルトは、交渉の打ち切りを決めた。ビドル合衆国司法長官によると、ルーズベルトは太平洋地域での事変をきっかけにして、アメリカが欧州諸国の戦争に参加することを望んでいた。』
 ジョージ・ビクターの引用は以上です。