ラマナ・マハルシとの対話より 31ー3

つづき

 それゆえ探求者の目的は、ハートからヴァーサナーという水を捨て去って、永遠なる意識の光がいかなる反映にも妨げられないようにすることにあるのです。これは自我の源を探り、ハートの中へと潜って行くことで到達されます。これが真我実現のための直接的な方法です。この方法を選んだ者は、ナディーや脳、スシュムナー、パラーナディ、クンダリーニ、プラーナーヤーマ、チャクラといったことについて心配する必要はまったくありません。
 真我がどこか他のところからやってきて、頭頂から身体の中に入るわけではありません。真我はただあるままに在るのです。それは常に輝き、常に不動で、揺らぐことも変わることもありません。変化はハートに宿る真我に初めから備わったものではありません。真我は太陽のように、自ら輝いており、変化はその輝きの中に見られるのです。

 真我と身体、あるいは心との関係は、透明な水晶とその背景に比較することができるでしょう。もし水晶が赤い花の前に置かれたなら、それは赤い色で輝き、緑の葉の前に置かれたなら、それは緑色の輝きを放つでしょう。個人は絶えず変化する身体や心という限定の中に身を閉じ込めています。しかしその身体と心も不変の真我からその存在を得ているのです。必要なのは、この偽りの自己同一性を放棄することだけです。それさえ放棄されれば、永遠に輝く真我は単一の非二元的な実在として見られるでしょう。
 意識の反映は微細身の中にあると言われています。それと脳と脳から脊髄や太陽神系叢を中心に四肢を伝わって全身へと放射していく霊的な神経経路によって構成されています。
 私が丘の上で暮らしていたとき、ナヤナが議論を持ちかけました。彼は「ヴァーサナーの座は脳にあります。なぜなら脳は無数の細胞から構成され、ハートから放射された真我の光によって照らし出されるヴァーサナーをその中に含んでいるからです。そして、ただそれだけが人を働かせたり、考えさせたりするのです。」と主張しました。