2637「当たり前の中の幸せ」2022.3.15 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからのありがとう」さんの2022年03月10日の記事を紹介します。

「当たり前の中の幸せ」

今日は「当たり前の中の幸せ」と言うことで、前ノートルダム清心女子大学の学長だった

渡辺和子さんの、卒業式でのお話をご紹介します。

あれも欲しい、これも欲しい。

あれがないと幸せになれない・・・と足ることを知らなければ

どんなに恵まれた環境に置かれようと、

感謝の心をはぐくむことはできないでしょう。

<引用開始> 引用元 

今日は、今から数年前、同じこの日、 同じこの記念館を巣立っていった一人の卒業生の言葉を、皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。

その人は、在学中、健康そのものの人でした。

それが卒業後まもなく、病気になって入院し、非常に苦しみ悩んだのですけれども、

やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。

その中に、こう書いてあったのです。

「ようやく外出許可がいただけました。久しぶりに地面を踏んだ時は、感激でした。

今の私には、当たり前が輝いてみえます」

この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、

病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、この言葉を書かせたことを、

たいへん嬉しく思いました。

当たり前が輝いてみえる、そして、この人から、幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。

私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。

今日、ここに集まってくださった方たちは、あなた方一人ひとりが、

一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。

幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。

ですけれども、共通して言えることは、自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、心が満たされている状態といっていいでしょう。

ですから、幸せを願う人たちは、

・たやすく愛せる人を探し、

・やりがいのある仕事を求め、

・そして、すてきなもの、

・すばらしいもので、

自分のまわりを囲みたいと願っています。

今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、

そして、それを満たすに十分な、物質的な豊かさと、過激といっていいほどの刺激と情報に溢れています。

お金さえ出せば、欲しい物がほとんどすべて手に入る世の中です。

では、それらを手に入れた人たちがみんな幸せなのかというと、

必ずしもそうではありません。

なぜでしょう。

星の王子さまが答えを出しています。

「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、

いまではもう、なにを探しているのか、わからなくなっている。

だからみんなは そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」

「おなじ一つの庭で、バラの花を五千もつくっているけど、…自分たちがなにが欲しいのか、

わらからずにいるんだ」。

そして続けていうんです。

「だけど、探しているものは、たった一つのバラの花のなかにだって、

少しの水にだって、あるんだがなあ…」

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。

かんじんなことは、目に見えないんだよ」

今から約千三百年まえにつくられた日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、

一つの歌が収められています。

信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も

君し踏みてば玉と拾はむ

たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、

“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”とうたった一首です。

なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、

それはこの乙女の心に宿る愛する心、いとおしむ気持ちだったろうと思います。

この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、愛する人が踏みしめたその石を、

玉と抱いて幸せな人です。

そして、私たちは、幸せの原点というものを、ここに見ることができます。

<引用終了>

今日の日本は、

・物質的で、派手な物

・目立つ物

・過激な物

を、如何にも魅力的なものと錯覚させ、お金さえあれば手にすることができる。

・お金を稼げ

・お金が全て

・お金さえあれば、何でもできる

・人がうらやんでくれる

そんなことを、煽っているように見えます。

その宣伝、戦略に多くの人が乗せられ 、それが本当の幸せと錯覚し、

・今だけ

・金だけ

・自分だけ

そんな心になってしまっているのかもしれません。

お金が無ければ不安になり、執着し、何かに必死に頼ろうとします。

でも、執着すればするほど、追い求めれば、求めるほど

それは、どんどん遠ざかって行きます。

そして心は疲れ、諦めと、厭世観(えんせかん)にさいなまされ、

いつかは、純粋だった心を曇らせてしまうことでしょう。

元々、私たちの幸せとは、何処にあったのでしょうか?

どこか遠くにあったのでしょうか?

お金や、物、地位や名誉にあったのでしょうか?

それを手に入れたら、幸せになれるのでしょうか?

もしかしたら、私たちの幸せは、元々、私たちの心の中にあって、

それに私たちが気付いてくれるのを、ずっと待っていたのかもしれないですね。

大切な物は、見えない・・

それが、本当のことかもしれません。