致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 6 「息子からの弔辞」

井坂 晃 ケミコート名誉会長

 七月二十九日の十一時少し前に、葬式の会場である九十九里町片貝の公民館に入った。会場の大部屋は畳敷きで、棺の置かれた祭壇の前には、すでに遺族と親戚の方々が座していた。私は中川夫婦に黙礼をして後方に並んでいる折りたたみ椅子に腰掛けた。祭壇の中央では、個人の遺影がこちらを向いてわずかに微笑んでいる。ドキリとするほど二枚目で、その表情からは男らしさがにじみ出ていた。会場には私のほかに高校生が五、六人、中学生の制服を着た女の子が数人。そして私のような弔問客が三十人くらい座していた。広間に並べられた座布団の席はまばらに空いていた。

 葬式は十一時ちょうどに始まった。右側の廊下から入ってきた二人の導師が座すと鐘の音とともに読経が始まった。後ろから見ると、二人ともごま塩頭を綺麗に剃っていた。読経の半ばで焼香のためのお盆が前列から順々に廻されてきた。私も型通り三回故人に向けて焼香し、盆を膝の上に載せて合掌した。しばらくして全員の焼香が終わると、進行係の人がマイクでポソリと「弔辞」とつぶやいた。名前は呼ばれなかったが、前列の中央に座っていた高校生らしい男の子が立った。

 すでに故人の長男であることがわかった。私には、彼の後ろ姿しか見えないが、手櫛で書き上げたような黒い髪はばさついている。高校の制服らしいき白い半そでシャツと黒いズボンに身を包み、白いベルトを締めていた。彼はマイクを手にすると故人の遺影に一歩近づいた。「きのう・・・」。言いかけて声を詰まらせ、気を取り直してポツリと語り始めた。
「きのうサッカーの試合があった。見ていてくれたかな」。少し間をおいて、「もちろん勝ったよ」。

 二十八日が葬式であったら、彼は試合には出られなかった。司法解剖で日程が一日ずれたので出場できたのである。悲しみに耐えて、父に対するせめてもの供養だとの思いが、「もちろん勝ったよ」の言葉の中に込められたように思えた。

 「もう庭を掃除している姿も見られないんだね、犬と散歩している姿も見られないんだね」。後姿は毅然としていた。寂しさや悲しみをそのまま父に語りかけている。
 「もうおいしい料理を作ってくれることも、俺のベッドで眠り込んでいることも、もうないんだね・・・」あたかもそこにいる人に話すように「今度は八月二十七日に試合があるから、上から見ていてね」。その場にいた弔問客は胸を詰まらせ、ハンカチで涙をぬぐっていた。「小さい時キャッチボールしたね。ノックを五本取れたら五百円とか、十本取れたら千円とか言ってたね。二十歳になったら「一緒に酒を飲もう」って言ってたのに、まだ三年半もある。くそ親父と思ったこともあったけど、大好きだった」

 涙声いなりながらも、一言、一言、ハッキリと父に語りかけていた「本当におつかれさま、ありがとう。俺がそっちに行くまで待っててね。さようなら。」息子の弔辞は終わった。父との再会を胸に、息子は逞しく生き抜くだろう。