この道へ その7 「時が来た」

活動はS先生やAおじさんの影響か、多くの参加者を
巻き込んでいったのだが、活動の中心となる電話事業
そのものに魅力がなくなってしまった。
魅力といっても経済的な成功の魅力なのだが、
そのようなことは初めから眼中にはない。
経済ならば本業に力を注げばよいのだから。
いよいよ実際に放送局への道を模索する「時が来た」と感じた。


今までご縁のあった人々と共に、それぞれのネットを
ネットワークする「日本ふるさとサイバー村」の構想が
認められ、DDNのご協力でホームページができた。
京都で発足の集い、多くの人が集まった。
DDNとしても人々を集めた責任があったことだろう。
こちらとしては最初に目指したことがらに
近づいたのだけれど。
最初は会員制だった「日本ふるさとサイバー村」も
途中からオープンとなった。
しかしもともと事業性がみえないためなのだろうか、
村の数が増えることはない。
もうからないことはしない人のほうが
この国では圧倒的に多いのだから。
次世代にとって有用と思われる情報を
多くの方が受け取れる場所をつくる。
そして多くの方に発信したい情報を発信する。
そんな場になることを祈っていた。
人はしかし情報に対する価値感がさまざまなのだ。
当たり前のことだけれど。
素晴らしい村もあるし固定して変化しない村もある。
毎日の情報の更新は楽しみなこと。
しかし2年半続いたお役目が固定的になってきたことに
きづいてくる。
人は何を大切に想い、行動をするのか。
一番簡単なことは「自分」が中心であるということ。
そして喜びがあるということ。
さらに有益であるということ。
感動があること。
興味が引くような魅力があるということ。
結局はみんな違うのだ。
平成16年年末SNSがヒットする。
続いてブログが大流行。
人々はブログで自身の思いを言葉にする。
その一滴が共感を呼び波紋のように広がっていくこともある。
ひとつの情報が何十万人にと、伝わっていくこともあった。
一人一人は異なるフィルター。
それでいいのだから。
SNS(ソーシャルネットワークサービス)はMIXIやGREEを中心に
ヤフーやグーグル楽天にも広がりをみせている。
一方メールには一方的なメールが氾濫し、
個人宛メールを間違って消してしまうことも。
だからSNS内でのメール交換も必然的に多くなって来た。
安全な知っている人同士のネットワーク内で交信でき、
しかもほんとの情報を受発信できる環境がほしかった。
DDNにSNSを提案したが、事業性に乏しいため
賛同を得ることはもちろん無理だった。
それで皆さんにGREEをご紹介させていただきその中で
「自前のSNS」に向けての実験をさせていただくことになった。
放送局への道はなおも続いていく。
そして志に賛同する陰の人々が動き始めていったのだった。
つづく・・・