致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 8 「平和のために働く人は神の子と呼ばれる」

古巣 馨 カトリック長崎大司教区司祭

 ミネやんとの出会いは島原の小さな教会に赴任した時でした、。その頃、私は郊外にある精神科の病院を訪ねるのが楽しみでした。職員や仲間から「ミネやん」の愛称で呼ばれる信者さんが待っていてくれたからです。心が通い始めた頃、私はミやんに尋ねました。
「きつい時、「聖書」のどのみ言葉が支えになってきましたか?」「神父さん、私は中学校しか出とりませんから、難しかことはようわかりません。でも、せっかく洗礼を受けて神様の子どもになりましたから、死んだとき「あぁこの人は神様の子どもだったんだ」って言われてみたかとです」。そう言ってミネやんは、たまたま開いた「聖書」に「平和のために働く人は幸い、その人は、神の子と呼ばれる」という言葉をみつけ、これこれと意を決しました。「だから私は平和の為に働くとです」。

 ほどなくミネやんは鑑肝臓がん発症し、みるみる弱っていきました。亡くなる一か月前のことです。なんとなく気が重かった私は「急に都合がつかず、明日参ります」と嘘をついていきませんでした。翌日、気を取り直し、開口一番ミネやんに赦しを乞いました。「いいえ、よかとです。私には都合はありません。私は自分の都合で親のいないこどもとして生まれました」。ミネやんはその時初めて自分の生い立ちを語ってくれました、父親は不明、母も一歳の時に亡くなり、親戚の都合でたらいまわしにされ、気づいたら孤児院にいたといいます。中学を出た後は大阪で車の整備工の資格を取ろうとしましたが、病気の都合で帰京。以来、三十年間以上、入院し闘病生活を続けていたのです。ミネやんはうっすらと涙を浮かべながら言葉をつづけました。

 「何のために生まれたのか、自分の生きがいは何か。私も自分の都合を言っているときは辛かったです。面会に来てくれる人に出合うのかどうかも私の病状と院長先生のご都合です。ここに入って三十年、神様にもきっとご自分の深い都合があることでしょう。だけど、ある時から神様の都合に合わせて生きてみようと思い始めました。そしたら楽になりました。だから私には都合はなかとです。神父さんの都合の付くときに来てください」。ミネやんの言葉に金槌で頭を小突かれた思いの私は、その日しおれて帰途に就きました。

 ミネやんが天に召された後、私は生前約束していた通りに亡骸を私の住む司祭館に連れて帰りました。通夜が終わった夜遅く、病院では働く女性の清掃員さん二人が教会に来られました。そしてしみじみとおっしゃるのです。「あぁミネやんがおらんごとなって寂しゅうなりました。この人のおるところはいつも平和だったんですよ」。私は「どうしてですか」効きました。「この人は自分の都合を言わん人でしたから、患者同士が衝突すると、ミネやんをベッドごとその間に入れる。そうすると静かになるとです。あぁ、ミネやんはここの人だったんですか。神様の子どもじゃったとですね。いま、やっとわかりました」。そう言うと二人は声を上げて泣きました。