森 信三 哲学者
人を知る標準としては、第一には、それがいかなる人を師匠としているか、ということであり、第二には、その人がいかなることをもって、自分の一生の目標としているかということであり、第三には、その人が今日までいかなることをして来たかということ、すなわちその人の今日までの経歴であります。
そして第四には、その人の愛読書がいかなるものかということであり、そして最後がその人の友人がいかんということであります。
大よそ以上五つの点を調べたならば、その人がいかなる人間であり、将来いかなる方向に向かって進むかという事も、大体見当はつくと言えましょう。
しかしながら、翻って考えるに、今申したようなもろもろの点は、結局は一つの根本に帰するかと思うのです。
たとえば、自分の一生の目標をなんと立てるかということも、結局はその人が、師の人格に照らされて初めて見出されるものであって、人間は師を離れては、生涯の真の目標も立たないと言ってよいでしょう。
またいかなる書物を愛読すかということも、結局は師の教えの光に照らされて、おのずから見えてくることでしょう。
またその人の過去の来歴というようなことも、その人が自分の師を発見しない間は、いろいろと彷徨して紆余曲折もありましょうが、ひとたび心の師が定まった以上は、迷いもおのずから少なくなり、また自分一人では決し得ないような大問題については、師の指図を仰いで身を処しますから、結局大したつまづきもなくなるわけです。
かくして今友人関係において、真に尊敬するに足る友人とは、結局は道の上の友ということでしょう。したがって道の上の友ということになると、結局は師を共にする場合が多いと言えましょう。つまり同門の友というわけです。