致知出版社 一日一話 読めば心が熱くなる・・ 第二弾 17 「笑顔に咲いた天の花」

浦田 理恵 ゴールボール女子日本代表

 目が見えなくなったのは、徐々に徐々に、じゃなくて、ニ十歳のころにガクンと来たんですね。左の目が急に見えなくなって、すぐに右の目、とスピードが速かった。小学校の先生になるための専門学校に通っていた時で、卒業をまじかに控えた三か月前の出来事でした。これまでできていたことができなくなるのが本当に怖かったです。
 一年半くらいは一人暮らしのアパートから出られず、両親にも友達にも打ち明けられないままでした。
もう本当に凄くきつくて、お先真っ暗で、見えないのなら何もできないし、できないんだったら別に自分がいる意味なんてないと考えたりもしました。
 二十二歳のお正月の頃、もう自分ではどうにも抱えきれなくって、このまま死んでしまうぐらいなら親に言おうと思ったんです。

 その決心がようやくできて、福岡から久しぶりに熊本へ帰りました。熊本へは電車で帰ったのですが、全く見えないわけではないので、こういけばそこに改札があったなといった記憶も辿りながら、駅のホームに降りて、改札口の方へ向かいました。
 するとすでに母が迎えに来てくれていたようで、「はよ、こっちおいで。何、てれてれ歩きよると?」と声がしました。
 ああ、お母さんや、と思って改札の方へ向かったんですが、母の声はするんですけど、顔が全然見えなくなって・・・。
 その時に、ああ、私、親の顔を見たのはいつやったかな。親の顔も見えなくなったんだということで、自分の目がもう見えなくなったことを凄く痛感させられた。改札の方へも、さっさとは歩けないのでちょっとずつ歩いたのですが、母は私がふざけていると思ったそうです。改札をやっと通り抜けて母の元へ行き、「私・・・、お母さんの顔も見えんくなったんよね・・・」と言ったら、母は「ほーら、また冗談言って、これ何本?」って指を出されたんですが、その数も全然わからなくて、母の手を触って確認しようとした。その瞬間、母はもう本当に、改札の真ん前だったんですけど、、ワーッとめちゃめちゃ泣き崩れて・・・。それを見ている私も、自分は何をやっているんだろう、とやるせない気持ちになったんですが、でもこれまで自分一人で抱えて来たものを伝えられたと、ちょっと下りた気持ちでした。
 それと、親がしばらくして「何か自分が出来ることを探さんとね」と声を掛けてくれた、その時に、ああ自分がたとえどんな状態になっても親は絶対に見捨てないでいてくれるなと実感できたんです。
 それまで家族の存在も、まるで空気のようにあたりまえに感じていたのですが、いてくれることのありがたさというのが、初めて身に染みて感じられました。そしてこれだけ応援してくれたり、励まして支えてくれる人がいるんだから、自分も何かをやらないと、とそれまで後ろ向きだった気持ちがすこしずつプラスに変化していきました。