寺田 一清 社団法人実践人の家常務理事
昭和四十五年、多年入院中の奥様のご逝去に引き続き、その翌々年、ご長男の急逝という予期せぬ事態が勃発しました。先生は齢七十七歳でした。そして「逝きしわが子への身の償いとして」単身、倒壊寸前の廃屋同然の貧しい一件屋に赦されて入居せられるという次第でした。これが先生の生涯における、最大最深の悲痛事ではなかったかと思われます。
そして玄米食とみそ汁を基本とした独居自炊の生活が始まりました。果物屋でもらってきた木星リンゴ箱を食堂にし、先生手づくりの一汁一菜の簡素な食事を共にお相伴したことがありましたが、まことに”隠者の夕暮れ”を感じ、私の方がかえって憂愁に閉ざされがちでした。
そうしたいわば悲愁の底にあられても、先生は、立ち居振る舞いをいよいよ俊敏にされ、二畳の間に書斎の城を築かれ、机上を踏み越えては、雄雄しく出陣といういでたちで、旅の講演の行客や海星大学の出講に休みなく通い続け、また各地のど読書会にも積極的に参加されました。
そうした人生最大の悲劇に遭遇された当時七十七歳の先生と、わたくしは、身近に接することが出来た一人として、先生の心身に秘められた耐忍力の強さに驚嘆せざるを得ませんでした。さすがに直後の一時期、いかな先生も、「もう一切の蔵書はいりません。聖書と仏典これだけあればいいです」とおっしゃっられたときもありました。
森先生の逆境に対する耐忍力のすばらしさこれはどこに由来するものがあるのでしょうか。それは第一に、天地宇宙ならびに人間界における深い哲理に透徹しておられるがゆえともいえましょう。それについて森先生の語録を辿りつつ、ご賢察をたまわりたいとも思います。
▼絶対不可避なることは即絶対必然にしてこれ天意と心得べし
▼信とは、人生のいかなる逆境も、わがために神仏から与えられたものとして、回避しない根本態度をいうのである。
▼わが身に降りかかることはすべてこれ「天意」。そしてその天意が何であるかは、すぐには分からぬにしても、噛みしめ ていれば次第にわかってくるものです。
▼この世における辛酸不如意・苦労などを、すべて前世における負い目の返済だと思えたら、やがては消えゆく。だが、これがむつかしい。
▼わが身に降りかかった悲痛事に対して、その何故か(WHY)を問わない。それよりもいかに(HOW)対処すべきかが問題。
▼すべて悩みからの脱却には行動が必要。「南無阿弥陀仏」という仏念称なもそのひとつ。手紙を書くのも、掃除をするの も、はたまた写経するのも、ーーそれぞれによかろう。