「しぐるるや 死なないでいる」
「後姿の しぐれていくか」
山頭火
山頭火には時雨がよくにあう。
しぐれは「時雨」と書くようだ。
時の雨。
どんな雨が降ろうと 死なないでいるじゃないか。
雨ぐらいで 天命は切れない。
今までも たくさんの時雨にあった。
いつももう—と思ったときに 不思議に助けられた。
時の雨の今は 大方の人々の上に激しいのだろうか。
いのちに呼びかける時雨は すさまじい。
早く早くとせきたてるかのよう。
毎日毎日のできごとが 何かを伝えている。
そのことにきづかずに 多くのことをむだにする。
すい臓ガンで入院中、歩行器につかまりながら
呟いた 天寿末期の母の言葉が耳に残る。
「なんで こんな病気に なっちゃったんだろう」
パンパンにはった新生物の満ち満ちたおなかを
触った。 「ああ—」 もうそんなに長くない母を感じた。
食べたら また苦しまなくてはならない母に みんなに内緒で
お金を渡した。気分のいい日には外のコンビニで母は食べ物を
内緒で買って、タブーをおかした。
「食べたい時は 食べればいい」 もうすぐ逝くであろう母に
そんな思いで一杯だった。
天寿の前に できるだけのことはしよう。
できなくなってから したいとおもってもおそいのだから。
母やその母の死の5年後に逝った父が、イメージの世界で
雲の上に仲良く並んで乗っていた。
そして二人はにこやかに微笑みながら、はるかに去った。
現実の世では、生きながら分かれなければ成らなかった運命の二人。
その間に生まれる選択をした この私という存在。
二人が去った時 長い自分のカルマもまた溶けたような気がした。
私たちは時雨の中を歩く。
嬉しいなつかしい出会いが どんな出会いでも
大切なことだときずく頃、また異なる人生を歩き出すのだろうか。
「しぐるるや 死なないでいる」