「仰げが尊し」、幾年たってもこの唄に感動される人がいる。
自分はといえば、小学校、中学校、高校と間違いなく3度は
歌った記憶がある。小学校の時はなんだか唄を間違えずに
歌うことに一所懸命で、感動の体験は覚えていない。
中学校は確かに強い感動があった。多感な少年時代。
さまざまな思い出が脳裏を巡ったことだろう。
そして高校。この時はしらけてしまっていたのだろうか、
何の記憶もない。
子をもつ親になって、今度は子供の卒業式に立ち会う事になる。
そんな時の「仰げば尊し」はもの凄い感動を与えるものとなった。
仰げば尊し わが師の恩
教えの庭にも 早幾年
思えば愛し この年月
いまこそ分かれ目 いざさらば
この唄を斉唱して 落涙するわけはなんなのだろう。
恩師に対する感謝の思いか、それとも学びの時代の守りから
新しく旅立っていく感傷か、友人と別れなければならない悲しみか。
なんとなくもっともっと深い意味を、この唄に感じる。
私たちはこの世に、自分で選択したシナリオを全うするために
この世に生れさせていただいたと聴いたことがある。
学びの庭はこの世。
我が師の恩とは、生れさせていただいた大いなる存在への
感謝と響いてくる。
「イヤダイヤダとだだをこねて、でも決断して、あなたたちは誰でも、
この世での学びに旅立って行った。あなたよあなたの学ぶべきものを
完全に学び切って、かえって来なさい。待っているよ。」
私たちはこの世をいつか旅立つ時がくる。
「教えの庭にも 早幾年」
「今こそ分かれ目 いざさらば」
人生で出会った人 別れた人。
共に学んだこの世の人々と 別れなくてはならない、
この世への未練は、幾たびかの卒業と言う体験のなかで
練習として、繰り返されるのだろうか。