再録 Iさん懐古 その6~空が自分(光)

「空が自分(光) 自分が自分を見ている
景色は幻という影」

これはわかりにくいですね。

家内に聞きました。

「あなたは何。?」

「私は宇宙。」

「すごっ!!」

「あなたが喜びそうな答えを言ったのよ。!」

ガクッと来ましたが、喜びそうな答えを言って
喜んでほしいと思ったら、もしかして
「あなたは喜び。?」

と感じました。

私は身体と言われたら? なんで一緒にいるんだろうと
思っちゃいます。47年間という自我の認識する時間。

自分は肉体だと信じて疑わない最大の
現象は肉体の「死」であり「病気」でしょうか。

本当はないのですが、あると強烈に語る自我。

「死」や「病気」は投影した世界を限りなく
小さくすることができます。
自分という最少の投影です。
痛かったり、苦しかったり、怖かったりするからです。
五感と官能が後押しします。

そのことで逆に心は無限と明かされます。
そしてこの世界は投影による幻想とわかる。
「病気」の時には、日常に広がる周囲や世界が投影されないからです。

「鬼滅の刃」や「孔雀王」などの漫画では
強烈な自我の想念の塊が常に浮遊していて
その思念につかまる人間を描いています。
思念はないはずの「肉体」が消えても残るものでしょうか。

その思念が酔っぱらいを製造しています。(笑)

自分を「空」と確信できる人はいますか。?

歴史という影にあったはずのイエスなどの
「父の一人子」や釈迦とかの聖者の方々だけなのでしょうか。

「自分が自分を見ている」

空である自分が光である自分を見ている。?

「景色は幻という影」

景色は幻想。?

影というのならば何かの影。
なんの影なのでしょうか。
何かに光が当たりその影となるのが
この目にする現象世界だとすると、
世界とは思念という自我が光を
浴びて、裁いたそして決断した心の影なのでしょうか。

もし影ができないとしたら、
裁きも決断もない思念がそこにある場合。

「空」や光は影をしらないからです。

影のない世界は、喜び一元の世界。

そのことの確信はどのように生まれるのでしょうか。

「空が自分(光)。」