再録 致知出版社の「一日一話 読めば心が熱くなる・・」 その11~生かされている実感

「生かされている実感」

大石邦子 エッセイスト

 私の身体が萎えたまま一生回復しない
ことを百も承知している父は、同じ言葉を
繰り返す以外に、私への愛情を表現する
方法を知らなかったのでしょう。
あとで聞くと、父は帰りには必ず看護婦詰所
(当時は”看護婦”でした)に寄り「お願いします」
「頼みます」と、これも同じことを繰り返して、
何度も頭を下げたそうです。

 のちのことになりますが、あれほど「大丈夫だ」と
言っていた父は、いまから三十年前の昭和五十一年、
入浴中に心臓麻痺であっけなくこの世を去りました。
苦しむ間もない死だったそうです。死までの一瞬、
父の脳裏に去来したものは何だったのでしょうか。
それを思うと、今でもいても立ってもいられない
ような気持ちになります。
そして、母が来ると八つ当たりです。
八つ当たりしたところで、何がどうなるものでも
ありません。終いには、感情を持っていくところが
なくなって、大声をあげて泣くしかないのでした。
そんな私の頭を抱え込むようにして、母はいつまでも
動きませんでした。母もまた、私以上の悲しみに
耐えていたのだと思います。

 私は愚かで、小さな人間です。命というもの、
生きるということに目を見開いていくには、
一歩前に出て半歩引き下がるような歩みを
するしかありませんでした。

 こんなことがありました。あれは病室で
二度目の春を過ごして迎えた春だったでしょうか。
会津若松には名所の鶴ヶ城があり、春には
三千本のソメイヨシノが咲き誇って花見客で
賑わいます。その夜も窓の向こうは夜桜見物
でざわめいていました。

 それを全身で感じているうちに孤独感がこみ上げ、
私は堪らなくなって大声で叫び、手当たり次第に
物を投げつけていました。といっても、身動きが
できず、動くのは右手だけですから、
大した物は投げられないのですが。

 看護婦さんが駆けつけました。私と同い年の
看護婦さんでした。彼女は黙って私に近づきました。
私は彼女に物を投げつけ、投げる物がなくなると
彼女のカーディガンをつかみ、胸を叩き、泣き叫びました。
それでも彼女は黙ってじっとしていました。

 やがて私は声も嗄れ、手を動かす気力もなくなりました。
すると、彼女が言ったのです。
「ちょっと桜を見てこようか」

 私をタオルケットで包み、おんぶして、彼女は
階段を一歩一歩下りてゆきました。彼女の背中の
温かみが伝わってきて、麻痺した体が溶けていくようでした。
ああ、この人は私の苦しみも悲しみも一緒に
背負ってくれているーーその思いがこみ上げてきました。

 彼女は私の半身不随という病気を見ているのではなく、
病気を背負った私という人間を見ていてくれるのだ、
と思いました。私は一人ではないと思いました。
両親をはじめ、たくさんの顔が浮かんできました。
自分はどんなに多くの人に支えられているかを、
痛いように感じました。私は生きているのではない、
多くの命の絆に結ばれて、生かされているのだ、
素直にそう思えました。