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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年10月19日の記事を紹介します。
「動物と人間の関わり」
今日は、犬や猫など動物と人間との関わりについてです。
うちにも犬2匹、ネコ1匹います。(ネコは生後間もなく保護したねこです)
下記の映像で6歳の神様(山幸彦)トキ君がお話しています。
動物のお話は、3分20秒くらいからです。
この中でこんなお話がありました。(一部補足含む)
神さまが犬や猫に与えた役割
犬の役割
・人を護るため
・人に愛を与えるため
・心配や不安を抱いて生活していると犬も共感力が強いため、心が苦しくなる・悲しくなる
ネコの役割
・人間の邪気(悪い氣)を吸い取ってしまう
・しっかりとこの仕事をさせてあげると、彼らにとってそれが一番の幸せ
・その結果、すぐに天国に行けたり、すぐに生まれ変われたりする
犬や猫など人間のそば近くで生きる動物たちはかなり進化の階段を上っているそうです。
まだ進化の低い段階の動物たちは、決して人間とは交わることがないのだそうです。
そして幸運にも人間のそば近くで生きることのできた動物たちで、
更に人間から深い愛を受けた生命体は急激に進化の段階が進むことができるそうです。
最終的には人間として生まれてきます。
またトキ君のお話にあったネコは飼っている人(家族)の邪気を吸い取る・・
この言い回しは非常に日本的で日本古来の縄文の神様の意識です。
(やはり節々にトキ君が日本神界の行為の神様の生まれ変わりであることが伺えます)
つまり大祓祝詞(おおはらいのりと)の中に書いてありますように、
決して邪気・悪を消滅させてしまうのではなく、
抱き参らせ、浄化し、清いエネルギーに変換・浄化してしまうという、
美しくも優しい、縄文の精神です。
家にも犬とネコがいます。
何だか愛おしくなってきますね。
さて、以前「動物の進化の過程」について記事を書きました。
以下掲載します。
今日は死についてのお話です。
死と言うと、それは私達肉体がある者から見ると、
・もの凄く違う世界への旅立ち、
・忌み嫌うべきもの・・
と思いがちですが、決してそうではありません。
今世の目的を終わらせ、神様から借りていた肉体をお返しし、
本来の魂の存在に戻り、次の進化の階段を進むだけです。
ですので身近な人の死に対し、残された人達が、何時までも何時までも、
悲しんで引きずる事は良いことではないと言われます。
その残された者の強い思いは、強力なエネルギーを持ちますので、
やっと予定通りの肉体での生活を終わらせ、進化の道を進もうとする魂を引き留め縛り付け、何時までもここ3次元の世界から離れることが出来ない状態にさせてしまいます。
それ程人の想いは強いものです。
それがよくわかる例を1つご紹介します。
東洋の叡智であるヨガを西洋に初めて伝えた偉大な伝道師として、広く世界に知られているヨガナンダのお話です。
ヨガナンダがインドに作った全寮制の学校での出来事です。
(ヨガとは神との一致を意味する単語です。一般的な体操のヨガは、神と一致するための技法のひとつです)
<引用開始>
ランチ(ヨガナンダが20代前半にインドに設立した学校)には、
われわれの自由に使用できる10ヘクタールほどの肥沃な土地があった。
われわれはそこに、果物や野菜を栽培し、また、そこで戸外の作業を楽しんだ。
動物もたくさん飼っていたが、中でも一匹の子鹿は、生徒たちからたいそうかわいがられていた。
私もこの子鹿が好きで、夜は自分の部屋に寝かせたくいだった。
明け方の光が射し込んで来ると、この子鹿は、ちょこちょこと私のベットに歩み寄って来て、朝の愛撫を求めた。
ある日、私は用事で町へ出かけた。
そのため、私はいつもよりも早めに子鹿に餌をやって、子供たちには、私が帰るまでは子鹿に何もやってはいけないと言い付けておいた。
ところが、生徒の一人が私の言い付けを忘れて、ミルクをしこたま飲ませてしまった。
夕方私が帰ると、生徒たちが悲しい知らせを持って駆け寄って来た。
『子鹿が、ミルクを飲みすぎて死にそうなんです!』
死んだようにぐったりした子鹿をひざの上にのせて、私は涙とともに、神に子鹿の命を助けたまえと祈った。
2、3時間すると、子鹿は目を開いて立ち上がり、力なく歩きはじめた。学校じゅうの者が歓声をあげた。
しかしその夜、私は忘れることのできない深い教訓を与えられた。
私は夜中の2時ごろまで子鹿のそばに起きていたが、そのうちにうとうとと眠ってしまった。
すると夢まくらに子鹿が現れて、私にこう言った。
『あなたが引き止めるので、私は行くに行けません。お願いですから、どうか私を行かせてください』
『よし、よし』私は夢の中で答えた。
私はすぐに目をさまして叫んだ。
『おい、みんな、子鹿が死んでしまうよ!』
子供たちは私のそばに走って来た。
私は、部屋のすみの子鹿のところに駆け寄った。
子鹿は最後の力を振りしぼって、つまずきながら私の方に歩み寄ると、ついに力尽きて、私の足もとに倒れて息が絶えた。
この子鹿は、動物たちを支配するカルマによって、今ちょうど鹿としての生涯を終えて、
より高等な動物に進化する時期に来ていたのである。
ところが、私の愛着(これは利己的なものであったと、あとで気づいたのであるが)と、熱心な祈りのために、子鹿は今の状態から離れることができず、その魂が解放を求めてあがいていたのである。
子鹿の魂は、私の理解ある許しを得ずに私のもとを去ることができなかったので、夢まくらに現れて嘆願した。
そして、私の承諾を得るとすぐに旅立って行ったのである。
悲しみは消えた。神は、その子らであるわれわれが、万物を、神ご自身の一部として愛することを欲しておられるが、また、死によってすべてが終わってしまうわけではないことを、
理解するように望んでおられる、ということを私はあらためて悟った。
無知な人は、死を、
自分と愛する人々を永久に隔ててしまう越えることのできない壁、とのみ思っている。
しかし、万物を神の現われとして愛することを知っている執着のない人たちは、
死とは、その愛するものが再び喜びに満ちた最高のいこいの場所である、
神のふところに戻るだけだ、ということを理解しているのである。
<引用終了>
生まれて来た以上、どんな人も動物も、命あるものは死を迎えます。
それは遅かれ早かれ時間の問題です。
ですが、その死は神様が許したこと、本人の潜在意識が生まれる前に計画してきたことです。
愛する人の死は本当に辛いものです。
死と言う肉体との別れが来た時、その悲しみを味わったら、
最後はありがとうと感謝で送ってあげるのが良いですね。
その人は既に死と言う境界を通過して、大きな進化の階段をのぼろうとしているのですから。
肉体をまとう期間は短く、そして有限ですが、魂は永遠で、そして不滅です。
私達、人間、動物、植物、全てのものは霊的な魂を持ち、常に神様へ向かう進化の道程の中に居ます。
死は、その一瞬の通過点にしかすぎません。