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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年11月03日「おかげさま」と2022年11月04日「さよならのあとに」の2つの記事を紹介します。
「おかげさま」
今日も心のお話です。
私たちの心は強力で、広大です。
見える世界、見えない世界を包み込んでいます。
例え、神様・仏様、能力のあるとされる方が一瞬にして私たちの境遇を引き上げたとしても、
私たちの心が変わらなければ、またすぐに同じ世界に戻ってしまうことでしょう。
それに引き換え、心の中に感謝の気持ちを持つことができれば、
私たちの境遇は一瞬にして変わってしまうことでしょう。
空海が仰るように生きながら天国に住むものとなります。
さて今日は、お陰様に付いてご紹介します。
謙虚で優しい気持ちです。
前ノートルダム清心学園理事長、渡辺和子さんの言葉です。
<引用開始>
小さなお子さんの手を引いて、
一人のお母さまが水道工事の現場の傍(そば)を通りかかりました。
暑い夏の昼下がりのことでした。
お母さまは坊やに向かって、
「おじさんたちが、汗を流して働いてくださるから、
坊やは、おいしいお水が飲めるのよ。
ありがとうと言いましょうね」
と話してやりました。
やがてもう一人、同じように幼い子の手を引いて、別の母親が通りかかりました。
「坊や、坊やもいまから一生懸命にお勉強しないと、
こういうお仕事をするようになりますよ」
と言ったというのです。
同じ仕事に対して、こうも違った考えがもてるものでしょうか。
最初の母親は、この日、子どもの心に、
労働に対しての、尊敬と感謝の気持ちを育てました。
二番目の母親は、(手をよごす仕事、汗まみれの労働)に対しての、
恐ろしいまでに誤った差別観念を、我が子に植えつけたことになります。
私たちがいま、子どもと一緒にこの場にいたとしたら、どんな会話を交わすことでしょうか。
会話以上に大切なのは、どんな思いを抱いて、
働いている人たちの傍を通るかということなのです。
人は、自分がもっていないものを、相手に与えることは出来ません。
感謝の気持ちを子どもたちの心の中に育てたいならば、
まず親がふだんから「ありがとう」という言葉を生活の中で発していることが大切なのです。
近頃の学生たちで気になることの一つは、
いわゆる〈枕詞(まくらことば)〉のようなものを習ってきていないということです。
例えば、「お元気ですか」と尋ねると、「はい、元気です」という答えは返ってきても、
「おかげさまで元気です」という返事のできる学生が、以前と比べて少なくなりました。
遅刻して教室に入ってきた学生が、
授業の後で、「遅刻しました」と、名前を届けにはきても、
「すみません、遅刻しました」という枕詞がつかないのです。
「お話し中、すませんが」とか、
「夜分(やぶん)、失礼します」という挨拶のできる学生も少なくなりました。
いずれにしても、言葉が貧しくなっています。
そして、それは取りも直さず、心が貧しくなっている証拠なのです。
せめて、「おかげさまで」という言葉と心を、生活の中に復活させましょう。
理屈っぽい人は、
「何のおかげですか」と言うかも知れません。
何のおかげでも良いのです。
この表現は、私たちが実は、一人では生きられないこと、
たくさんの〈おかげ〉を受けて生きていることを忘れない心の表れなのです。
見えないものへの感謝なのです。
ところで、本当にありがたいこと、
何でもない時に「おかげさまで」と言うのは比較的に易しいのですが、
不幸や災難に遭った時はどうしましょう。
そんな時にも、「おかげさまで」と言える自分でありたいと思っています。
ごまかすのではなく、不幸、災難、苦しみをしっかりと受け止めながら、
「いつか、きっとこの苦しみの〈おかげさまで〉と言える自分になりたい、
ならせてください」と祈る気持ちをもっていたいのです。
<引用終了>
子どもは親や教師の「いう通り」にはならないが、「する通り」になる。
そう渡辺さんは仰います。
このたとえ話では、親の価値観が、子どもの価値観を作る・・
ということが良く描かれています。
私たちの日々の何気ない一言、行動を子どもたちは本当によく見ています。
そして、ものすごい早さで吸収していきます。
親だからといって、100%完璧な人間になることは不可能ですが、
「お手本」になるために、少しだけ意識してみることはできるかもしれませんね。
「さよならのあとに」
今日は、事故で両腕を無くしてしまったけれど、そのことをきっかけに、
大切な、人の優しさに気づくことができた。
そんなお話をご紹介します。
<引用開始> 引用元
十月二十四日、熊本県の大野勝彦さんが、星野富弘さんに会う為に大間々へお越しになりました。
星野富弘さんは、中学校の体育の先生でしたが、
クラブ活動の指導中の墜落事故で頸髄を損傷、手足の自由を失ってしまいます。
その後に奮起なさり、口に筆をくわえて文や絵を書き始め、
作品展を開いたり、雑誌や新聞に詩画作品やエッセイを連載していらっしゃる方です。
熊本の大野さんは、五町歩の田畑にハウスの野菜を栽培していましたが、
平成元年、農作業のトラクターに手を挟まれ両手を切断してしまいました。
何の前ぶれもなく始まった手無しの生活に幸せが音をたてて崩れてゆくのを感じたそうです。
その時、大野さんが一番こころを痛めたのは三人の子供達のことでした。
大野さんは奥さんと相談して
「子供達が病室に来たら、楽しい話だけをしよう」と決めました。
子供達が来ると部屋の中は笑い声でいっぱいになりました。
子供達が帰り、病室に元の静けさが戻ると
「子供達は、俺の両手切断のことでショックを受けていないようだ」と安心したそうです。
でも、お見舞いに来た近所のおばさんが
「勝彦さんの長男の隆君は、毎日夕方になると玄関の前に座って頭を抱え込んで、
暗くなっても何時間も動かない。意地らしくてかわいそう」と涙声で教えてくれました。
子供達は病院に行く道すがら
「お父さんのところへ行ったら、楽しい話だけをしよう」と話し合っていたのです。
大野さんはその時、家族の優しさに胸いっぱいの幸せを感じたそうです。
星野富弘さんの
わたしは傷をもっている
でもその傷のところから、
あなたの優しさがしみてくる
という詩画に深く感動した大野さんは今、義手で筆を持ち、素敵な絵や詩を書いて
多くの人に生きる勇気と優しさを与えてくれています。
大野さんの名刺の裏には
しあわせは気づいたときから始まる。
本当はしあわせなんだけど
さよならのあとで気づくの
と書いてありました。
<引用終了>
私たちは、みんな生まれる時に今世では、何をしよう・・・
と、目的を持って生まれてくるそうです。
その目的のために、ご縁のある方と、
いつ、どのようなシチュエーションで、出会うか、分かれるか・・など
細かなところまで、固く約束してくるそうです。
その目的のためなら、
・病気
・事故
・貧困
・別離
など、一般的につらく悲しい出来事も全く苦にならないのだそうです。
もちろん肉体を持つ身としては当たり前に、苦しいのですが、
永遠の魂のレベル
つまり、生きている私たちのすぐそばで見守っている高次の意識の私たちは、
その乗り越えた先、目的を果たした先にある、永遠の魂の喜びを知っていますから
一時の三次元での苦痛よりも目的遂行を喜んでいます。
高い意識レベルにある魂は
時に、自分の人生を犠牲にして、他の方の魂の覚醒に協力することもあるそうです。
・病気
・事故
・子供たちの早すぎる死
などは、このような目的であることが多いようです。
今回ご紹介した大野さんは両手の切断という辛く苦しい経験をしました。
未来への希望も失ったかもしれません。
でも、それをきっかけに、今まで気づかなかった、家族の優しさや愛を
身をもって経験することができました。
お子様たちもきっとつらい経験を乗り越え人の気持ちのわかる、優しい大人に育つことでしょう。
父の代わりにと・・責任感の強い大人に育つでしょう。
きっと、そのお父さんの事故をきっかけに普通の人では経験できなかったことを経験し、
回りから頼られ、愛される人間に育っていくことでしょう。
そうなった時、お父さんの辛く悲しい事故も
決して無駄なものではなかったことになります。
悲しい事故を人生に予定して組み込んで生まれて来たかいがあるというものです。