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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年11月08日の記事を紹介します。
「他人の心配より自分の心配」
今日は 小林正観さんのお話からです。
正観さんは生前、ブッダの時代と、空海の時代に生まれ、
それぞれの師のそば近くで修行していたことを思い出していました。
また、プレアデスから地球に来たことも思い出していました。
年間300回を超える講演会を通じ、沢山の方々を悩み、苦しみの淵から、救われてもこられました。
身体がボロボロになるまで、講演会を続け晩年は、もう不思議な力さえ使うことができたようです。
さて今日は「他人の事はいいんです」ということで、
正観さんの少し厳しめの、講演会の内容をご紹介します。
<転載開始> 転載元
実践する人である正観さんが、自らを名乗る。「実践者」
その実践者というのはどういうことか。
・どんなことがあっても 怒らない。
・どんなことがあっても 声を荒げない
・イライラしない
ということを実践しようと思っている 実践者なんです
腹を立ててもよい現象(出来事)は世の中にはありませんと。
それは戦争についてさえ、そうです。
戦争を憎んで、怒りを覚える という人に「正しい怒りではないのか?」と聞かれました。
その答えは「その憤りこそが戦争を起こす」というものです。
戦争を起こす人たちは、自分は絶対間違っていないと思ってる。
・正しい怒り。
・正しい憤り。
・正義の戦い
と皆思っているんです。
だから戦いになる。
だからこそ、どんなことあっても腹を立てない。
何があっても戦いを挑まないということが 重要なんです。
この条件だったら、腹を立てないけれど、この条件だったら、腹を立ててもいいと。
そういうことは ないんです。
そこのところ、すごく重要です。
腹を立てさせる人がいるんだ。
そんな事はない。
腹を立てている私が居るだけ。
家庭の中でも 子ども 夫婦 親。
会社の中でも 上司 部下 同僚、その他社会の中での現象すべて、
あてはまることかもしれません。
腹を立てることによって問題が解決する事はあるのか?
「ない」
そんな方法論では 解決しない。
そしてもう一つの実践ポイントとしてこう仰っしゃいました。
自分がいかに幸せに生きるか・・だけを考えること、他人の事はいいんです。
そこが重要で、私の言っている事は全部そこなんです。
他人をどうする?
というのは善いも悪いも含めて考えないこと。
正観さんは、この時、珍しく語気を強めていらっしゃいました。
自分が出来ることを、楽しく嬉々としてやる。
他の人がどうなるかは 関心を持たなくともよい。
自分でそう決めた。
その生き方を、実践することが大切。
「私はニコニコと生きていく」だけ。
自分が 楽しいこと嬉しいことだけ。
それをやっていくだけ。
他人をどうこうしようとする必要はありません。
ですから、すごく辛そうに生きてる人に向って
「こういう生き方をしなさい」と寄って行き、話をするということは金輪際しません。
この人は 辛くてつらくてという生き方を、すごく楽しんで 生きているかもしれない。
私にはあ~だこ~だ言う権利はないんです。
熊手で 不幸というものをたくさんかき集めて
「こんなに不幸なんです」と言って喜んでいる人は たくさんいます。
不幸や悲劇は存在しません。
そう思う心があるだけです。
どうせ 熊手で集めるなら 嬉しくて楽しくて仕方ないことを集めたらいいですね。
<転載終了>
正観さんにしては、かなり厳しいお話です。
もうご自分の死期が迫っていることを知っていらっしゃるので、
どうしても、後世に残したかったのかもしれません。
それだけ、多くの人が陥りやすい罠であり、沢山の方が、これで不幸になっているのを
見過ごすことができなかったのでしょう。
過去には表面だけしか理解せずに、反論される方もいらっしゃったことでしょう。
では子供のことを心配するのは良くないのか?
そう思う方もいるかもしれません。
ですが正観さんですから、ブッダや空海たちの教えの深い部分から、このお話をしていると思うのです。
こんなお話を聞いたことがあります。
あるお母さんが、小さな子供を残して亡くなりました。
お母さんは迎えに来た神様に訴えます。
「子供のことが心配で・・」
ですが、すぐさま神様は、子供の過去現在未来のタイムラインを見せてくださいました。
そこには、この時期に母が亡くなり、
そのことで子供の人生が方向を変え進んでいくことが示されていました。
そしてその全てが神様の庇護のもと進んでいくことが分かりました。
そして母は安心して逝くことができました。
つまり、例え母であろうと、子供の人生に介入できないこと。
子供は子供で、すでに生まれてくる前に、自分の魂の向上のために
最善のタイミングで物事が起こるように決めたうえで、生まれているということ、、
そして子供にも神様がついてくださっているということ。
ですから、たとえ子供であろうと、親の思い通りにはできない。。
などが神様から示されたのでした。
正観さんはよくおっしゃっていました。
悩みごとのほとんどが、自分自身の悩みでなく、
他人が自分の思い通りに動いてくれないが、どうしたらよいのか?
そんな類の悩みがほとんどなのだそうです。
ブッダはそんな悩みごとを相談されたとき、お答えにはならず、
静かに瞑想に入ってしまわれたそうです。
正観さんのおっしゃるように、私たちは、他人を思い通り動かすことはできません。
なのに、そのことで沢山の悩みを抱えている人が多いのです。
憎しみを抱き、自分の心と体を傷つけている人が多いのです。
また、悩みの種類の数だけ解決方法があるわけではありません。
・夫がDVで
・子供が不登校で
・子供が情緒不安定で
・会社の上司がわがままで
その数だけ、解決法があるわけではありません。
全ては私たちが、目の前の現象をどうとらえるか、私たちの心の在り方 だけなのです。
今日の正観さんの言葉は少し厳しいかもしれませんが、他人をどうする。
というのは善いも悪いも含めて考えないこと。
自分が出来ることを楽しく嬉々としてやるだけでよい。 のかもしれません。
そうすれば、上記4つ 例を挙げましたが、 全て他人を、どうこうしたいというものですから、もう問題ではなくなります。
彼らには彼らの道があり、彼らの時があります。
他人によって強制的に方向転換することはできません。
また正観さんは上の講演会ですごく辛そうに生きてる人に向って
「こういう生き方をしなさい」と寄って行き、話をするということは金輪際しません。
と仰っていますが、これは生前のブッダも同じような姿勢を貫かれました。
それは「縁なき衆生は度し難し」が示す通り
いくら慈悲深い仏であっても縁がなければ、救う時期ではない(救えない)ということです。
当時こんなエピソードがあります。
町中でみすぼらしい老婆が乞食(托鉢)をしていました。
自分が食べ、生きるためです。
ですが、どこの家でも門前払い。
見かねた、従者アーナンダが
ブッダに「何とか救ってあげることはできませんか」と相談しましたが、
ブッダは首を縦に振りません。
それでもと、アーナンダはブッダを老婆の目の前まで連れてこられたのですが、
老婆には目の前に立つブッダの姿が全く見えないのでした。
そしてブッダはアーナンダに「縁」についてのお話を聞かせたのでした。
例え宇宙の真理を知ったブッダでさえ、縁が無ければ誰も救うことができないのでした。
子供たちの問題も、私たち、母や父が眉間にしわを寄せ、苦しそうな顔をしているのではなく、自分の好きなことをやり、明るく楽しく笑っていれば、いつしか丸く収まってきます。
彼らには彼らの道、学びがあり、そのために今の道を歩んでいます。
それを見た私たちが自分だけの価値観、正義感で、
「こうしろ」「ああしろ」というのは 正観さんの言うように、少し傲慢なのかもしれませんね。