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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2022年12月27日「今世界で起きていること」と2022年12月26日「心卑しき人」の2つの記事を紹介します。
「今世界で起きていること」
クラリオン星人で、この地球に転生してきたレインボーチルドレンのそうた君の最期の何回かの発言では、地球について、非常に悲観的な内容が続きました。
明治維新のころから始まったことですが、地球の最後の砦である私たち日本人の意識に対する戦後の敗戦教育と、古き良き日本人の魂の分断政策がここへ来て、最終的に成功しそうだからです。
ですが、この地球に生まれ日本に生まれ、育ってきた私たちは諦めるわけにはいきません。
母なる地球を見捨てるわけにはいきません。
この美しき、愛の星地球を滅ぼさないよう、日本列島に住まう古来からの神々や、沢山の先達が、血の涙を流し、努力してきたからです。
少なくとも、今の状況を地球意識そして宇宙神たちも理解し、把握しているからです。
今日は地球の現状と、神々の働きについて書きたいと思います。
そして一昨年から始まったコロナによるパンデミック。
ロシアとウクライナ・NATOにおける軍事行動。
そして嘘で固められた扇動的な報道。
世界がこのように、一気に変わってしまうことを予想していた人がいたでしょうか?
神々の計画では、この機会を逃さずに、いっきに片を付けてしまうかの様相です。
日本国内ではなかなか伝わってこない情報もあるようですが、神々による建て替え(破壊)、
そしてそれに呼応するかのように、3次元的な人間世界における大変化。
変化は突然起こり、私たちは渦中に巻き込まれ、 一気に強制的に変化させられました。
生活も、仕事も、ライフスタイルも、子供も大人も、お年寄りも・・
果たして、これらが収束した後に、私たちはまた元の生活に戻るのでしょうか?
戻りたいと思う人も大勢いるかと思いますが、たぶん、もう後戻りできません。
何故なら、収束した後、私たちは一種の正気に戻るからです。
収束した後気づくのは、あのままの時代が続いていたら、私たちは、どのような悲惨な状況まで落ちていたか?
トコトンまで行ってしまっていたのではないか?
もしかしたら人間の良心を失っていたかもしれない。。
公共性を帯び、善だと思っていたマスメディアは、偏りなく私達に真実の情報を提供してくれていたのか?
そんなことだと思うのです。
何故なら、コロナウイルスが発生する前までの世界、東欧における戦争。
「経済と物質」中心の世界は、
・金融資本主義社会、
・お金がすべての社会、
・お金や武力の力で人を支配しようとする社会
恐怖で人を支配しようとする動きが究極のところまで来ていたからです。
コロナウイルスが収束した時、夜明けの時、このパンデミック発生前には、私たちが、どのような悲惨な状況に直面していたのか?
気づく時が必ず訪れます。
神々の計画(許し)で、コロナウイルスが世界中に蔓延した。
今まで名前も聞いたことがないし、想像すらしていなかった事件。
その結果が、
・今までの生活
・社会の状況を一変
ごく一部の権力者や、拝金主義者のために99%の人々が、恐怖心にしばられ、疲労困憊(ひろうこんぱい)している時、もうこれ以上、生きていけない、耐えられないという時に、
神々の許しを得て、コロナウイルスが発生しました。
その結果、表面上は、あらゆるもの、既成概念の破壊が起こりました。
それもごく短時間の間に、一気に起こりました。
まさに日本古来の神、国常立尊や、弥勒菩薩の降臨のようです。
弥勒菩薩
これが終わったとき、覚醒した私たちは、誰もがコロナウイルス発生前の、あんな時代に戻りたいなどと思わないことでしょう。
今までは、一番大切な命を削り、お金のため、利益のために働いていた異常な時代だった。
そう気づいたとき、新たな時代、命を守る時代が始まります。
もう、
・お金のために眠らずに働く時代
・お金のために人を蹴落とす時代
そんな時代は、神々の建て替えにより強制終了させられました。
後戻りはしません。
命を守る時代
・自分の命
・家族の命
・身近な周りの命
・生きとし生きるものの命
命を大切にする時代が始まります。
夜明けは近いです。
もう既に神仕組みは動き出しています。
もう少しの辛抱です。
どうぞ希望を持ってください。
「ありがとう」の感謝の心を持つ人は無敵です。
この古くから神々と共に生きてきた日本列島で、魂は美しき光を放つことでしょう。
神々の目に留まることでしょう。
「心卑しき人」
今日は、「置かれた場所で咲きなさい」の著書で有名な、渡辺和子さんの名誉息子であり、放蕩息子の保江邦夫さんの著書「置かれた場所で咲いた渡辺和子シスターの生涯」からご紹介します。
保江 邦夫(やすえ くにお)さんは、日本の理学博士。
専門は数理物理学・量子力学・脳科学。岡山県出身。ノートルダム清心女子大学 大学院人間生活学研究科人間複合科学専攻教授。同情報理学研究所所長。
また臨死体験者としても、よく知られています。
この本の中で、保江さんは、渡辺和子さんのこんな言葉を紹介しています。
非常に強い言葉です。
<引用開始>
人間に上下はありません。しかし、人格に上下はあります。
これは、渡辺さんが半世紀以上も尽くされた大学、そしてそれよりも長い年月を過ごされた修道院、その中で、ご自分の社会的交流の範囲において、平気で人を裏切ったり、だましたり、あるいは二枚舌を巧みに操って、人を落としめてまでのし上がろうとしたりする愚か者たちに、狙われなかった日は皆無でした。
そんな亡者たちとの無益な闘いに明けれる、過酷な境遇に身を置くという、神様が与えてくださった試練の中にありながら、シスターは人々を勇気づけ、元気づけるというご使命を、
片時も忘れることはなかったのです。
そして、だれの助けもないまま、おー人で愚か者たちに抗しているとき、シスターから放たれたのが、 この言葉だったそうです。
そのときのシスターのお顔は常のような、どこまでもお優しい聖母マリアの表情ではなく、
まるで悪を射貫くような 強いまなざしで、遠くを見据えていらっしゃったことを、はっきりと覚えています。
「置かれた場所で咲きなさい」に代表される、人を勇気づけるシスターの言葉の数々は、
「苦を乗り越えて心安らかな境地に至った者」が発したものではなく、「今まさに苦境にあり続ける者」が紡ぎ出したものだったのです。
そんなシスターの、受難の連続だった生きざまのほんの一部だけでも、シスターのおそば近くで、5年にわたってお手伝いさせていただいてきた僕が語り継いでいかなければならないと、シスターの90歳の誕生日に決意しました。
それが、シスターから「名誉息子」、あるいは単に「息子」、ときには「放蕩息子」と親しく呼んでいただけることもあった、そしてシスターのことを「名誉母親」と呼んで、自分に必要なときにだけふらりと学長室や理事長室、さらには寺の本革修道院のお部屋にまで押しかけることを笑って許していただいていた、この僕にしかできないことであり、 また義務でもあるのですから。
<引用終了>
私もこれを見た時、強い衝撃を受けました。
渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」は、まさに悟りの境地に渡辺さんが達せられたときに、過去の出来事を振り返り、書いた本だと思っていたからです。
保江邦夫さんの著書には、当時の凄まじい状況も書かれています。
考えが甘かったです。
まだ当時は、愚か者たちとの戦いの中、その真っ最中だったのです。
保江さんの言葉を借りれば、まさに世間の中の矛盾と、無情の中で戦っている最中の言葉であったことがわかります。
保江さんは、こうも仰っています。
人間は完全に平等であり、どの命も等しく大切な命であるのは事実です。
しかし、「それでも人間社会から差別や苦しみ、さらには争いやいさかいが絶えないのは、人格に上下があるからだ」というのが、シスターのお考えでした。
シスターの ように、多くの人々の道を照らすことのできるような高い人格を有する人がいる半面、低い人格を持つ人もまた社会のあちこちに巣くっている、それがこの世の真理なのです。
そんな世の中に巣立っていく学生たちが、道を見失うことのないよう、シスターはこの言葉を人生の指針とするように 教え導いてくださっていました。
それでは、ここでブッダの言葉(卑しき人)をご紹介します。
わたしが聞いたところによると、あるとき師(ブッダ)は、サーヴァッティーのジェータ林、
<孤独な人々に食を給する長者>の園におられた。
そのとき師は朝のうちに内衣を着け、鉢と上衣とをたずさえて、托鉢のためにサーヴァッティーに入った。
そこでブッダは言われた。
・怒りを抱くもの、
・恨みを抱くもの、
・或いは、いつわりの善を行うもの、
・邪まの見解のあるもの、
・へつらいの心あるもの、
かかる人は賎しきものであると知るがよい。
例え、いかなる生き物であろうとも、
・生きとし生けるものを害するもの、
・生きとし生けるものに慈しみ無きもの、
かかる人は賎しきものであると知るがよい。
村においてあるいは林園において、他の人々の所有に属する財物を与えられざるに、盗るがごときもの、かかる人は賎しきものであると知るがよい。
・己を高く褒めそやし、
・他人を低くけなし落とし、
・高慢のために心賎しくなれるもの、
かかる人は賎しきものであると知るがよい。
・人はその生まれによって賎しきものであるのではない。
・また、人はその生まれによって聖なるものであるのではない。
・人はその業(行為)によって賎しきものとなるのである。
・また、その業によって、聖なる者となるのである。
このブッダの言葉は、人間は生まれながらにして貴賎があると説いた僧に対する猛烈な批判の説教として説かれたものです。
まるで、イエスの「山上の垂訓」のようですね。
貨幣、金融の仕組みを牛耳られた現代社会のような環境の中では、私達もおかしくなりがちです。
私達一般の人々の生活は苦しく、もう働き始める前から借金(奨学金、年金、社会保険など)
を背負って社会生活をスタートさせるようなものです。
ですので、最初から諦めや、焦燥感・不安感に襲われ、どうしても自分のことしか考えられなくなりがちです。
本当は一人一人、心優しき人なのに、あまりに生活が苦しいために、やがて生活が狂いおかしくなってきてしまいます。
もしくは精神的に参ってしまい、病気になってしまいます。
また愛する家族よりも、仕事、お金となってしまいます。
何故なら、そうしないと生きていけないと、恐怖心と不安で私達の心を縛りつけているからです。
私達が、そこから解放されるには、ブッダが言うように「賤しき人」にならない。
・人の悪口を言わない。
・人を呪い続けない。
その卑しき心でいる限り、いつまでも自分の周りに悪臭を漂わせてしまうことでしょう。
少なくとも自分自身は、そうはならないと心に決めて行動するしかありません。
世の中の流れも、大きくそちらの方向に舵を切りました。
その波に乗るのか、今までのように恐怖と不安に縛られた人生を歩み続けるのか?
私達の心ひとつです。