2960「当たり前の中の幸せ」2023.2.2 自分で自分を自分するから

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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年01月26日「当たり前の中の幸せ」と2023年01月29日「幸運は不運の顔をしてやって来る」の2つの記事を紹介します。

「当たり前の中の幸せ」

今日は「当たり前の中の幸せ」と言うことで前ノートルダム清心女子大学の学長だった

渡辺和子さんの、卒業式でのお話をご紹介します。

あれも欲しい、これも欲しい。

あれがないと幸せになれない・・・と足ることを知らなければ、どんなに恵まれた環境に置かれようと、 感謝の心をはぐくむことはできないでしょう。

<引用開始> 引用元 

今日は、今から数年前、同じこの日、同じこの記念館を巣立っていった一人の卒業生の言葉を、皆さんへのはなむけの言葉にしたいと思います。

その人は、在学中、健康そのものの人でした。

それが卒業後まもなく、病気になって入院し、非常に苦しみ悩んだのですけれども、

やがて快方に向かった折に、一通の手紙を書いてくれました。

その中に、こう書いてあったのです。

「ようやく外出許可がいただけました。

久しぶりに地面を踏んだ時は感激でした。

今の私には、当たり前が輝いてみえます」

この手紙を読んで、私は、病気がよくなったことが嬉しかったとともに、

病気という十字架が、この人を、ここまで成長させて、この言葉を書かせたことを、

たいへん嬉しく思いました。

当たり前が輝いてみえる。

そして、この人から、幸せの秘訣を教えてもらったように思ったのです。

私たち一人ひとりは、幸せになりたいと願っています。

今日、ここに集まってくださった方たちは、あなた方一人ひとりが、

一生の間、幸せに生きてほしいと、願っていてくださいます。

幸せの条件には、いろいろあって、人それぞれに違うかも知れません。

ですけれども、共通して言えることは、自分が愛するもの、価値あるものに取り囲まれて、

心が満たされている状態といっていいでしょう。

ですから、幸せを願う人たちは、

・たやすく愛せる人を探し、

・やりがいのある仕事を求め、

・そして、すてきなもの、

・すばらしいもので、

自分のまわりを囲みたいと願っています。

今日の日本は、この種の幸せをあおるかのように、そして、それを満たすに十分な、

物質的な豊かさと、過激といっていいほどの刺激と情報に溢れています。

お金さえ出せば、欲しい物がほとんどすべて手に入る世の中です。

では、それらを手に入れた人たちがみんな幸せなのかというと、必ずしもそうではありません。

なぜでしょう。

星の王子さまが答えを出しています。

「地球上のみんなは、特急列車に乗り込むけど、いまではもう、なにを探しているのか、

わからなくなっている。

だからみんなは そわそわしたり、どうどうめぐりなんかしてるんだよ…」

「おなじ一つの庭で、バラの花を五千もつくっているけど、自分たちがなにが欲しいのか、

わらからずにいるんだ」。

そして続けていうんです。

「だけど、探しているものは、たった一つのバラの花のなかにだって、少しの水にだって、あるんだがなあ…」

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。

かんじんなことは、目に見えないんだよ」

今から約千三百年まえにつくられた日本の一番古い歌集『万葉集』の中に、

一つの歌が収められています。

「信濃(しなの)なる千曲(ちくま)の川のさざれ石も 君し踏みてば玉と拾はむ」

たぶん、うら若い一人の乙女が、自分の愛する人、夫、恋人を送り出した後、

“その人が踏んだ石だと思えば、私には玉と思えるのです”とうたった一首です。

なにが、この当たり前の、どこにでもある石を、輝く玉に変えたのか、

それはこの乙女の心に宿る愛する心、いとおしむ気持ちだったろうと思います。

この人は何カラットかするダイヤモンドでなくても、愛する人が踏みしめたその石を、玉と抱いて幸せな人です。

そして、私たちは、幸せの原点というものを、ここに見ることができます。

<引用終了>

今日の日本は、

・物質的で、派手な物

・目立つ物

・過激な物

を、如何にも魅力的なものと錯覚させ、お金さえあれば手にすることができる。

・お金を稼げ

・お金が全て

・お金さえあれば、何でもできる

・人がうらやんでくれる

そんなことを、煽っているように見えます。

その宣伝、戦略に多くの人が乗せられ、それが本当の幸せと錯覚し、

・今だけ

・金だけ

・自分だけ

そんな心になってしまっているのかもしれません。

お金が無ければ不安になり、執着し、何かに必死に頼ろうとします。

でも、執着すればするほど、追い求めれば、求めるほど、

それは、どんどん遠ざかって行きます。

そして心は疲れ、諦めと、厭世観(えんせかん)にさいなまされ、

いつかは、純粋だった心を曇らせてしまうことでしょう。

元々、私たちの幸せとは、何処にあったのでしょうか?

どこか遠くにあったのでしょうか?

お金や、物、地位や名誉にあったのでしょうか?

それを手に入れたら、幸せになれるのでしょうか?

もしかしたら、私たちの幸せは元々、私たちの心の中にあって、

それに私たちが気付いてくれるのをずっと待っていたのかもしれないですね。

大切な物は、見えない・・

それが、本当のことかもしれません。

「幸運は不運の顔をしてやって来る」

昨日、「諦めないで、理不尽な時」の記事にコメントを頂き、読んでいたら、昨年の欽ちゃんの記事を思い出しました。

少し加筆して再掲します。

今大変理不尽な目に遭っておられる方、どうぞ参考になさってみてくださいね。

今日は、「ひどい目に遭った時は、運がたまっている」というテーマで、

欽ちゃんの「心に響く言葉」よりご紹介します。

<引用開始>

■僕の書いた運の本に、女の子から手紙が来たの。

新入社員でいつも上司に怒られて会社に行くのが嫌になっていたそのとき、たまたま僕の本を読んだんだって。

そこに「怒られるごとに、運がたまっている」とあって、今は運をためてる時期なんだと思ったら、会社が楽しくなってきたって言うの。

■僕は、ひどい目に遭ったとき、「次、でっかい運がやってくるかな」と思うんです。

現にテレビでコマーシャルの生放送を19回トチる大失敗をして、ションボリして熱海に行っていたときがそうでした。

2ヵ月たって、やり直そうと浅草の下宿に帰って来たら、その日に(坂上)二郎さんから電話があったの。それがコント55号の結成につながったのね。奇跡だね。

1日遅れて帰って来てたら二郎さんとコンビになってないんだもんね。

負けは負けのまま終わらない。人生ってうまくできているね。

■ダメなヤツは俺の仲間だと思うから、ダメなヤツほど応援したくなるね。

小堺一機は最初にテレビに出た時、ガタガタ震えていたからね。

後になって小堺が、「(欽ちゃんから)

『あがるヤツ、好きなんだよ』と言われたのが励みになった」って言ってたけど、違うの。

俺と互角のあがり症のヤツがいるんだ、スゲーッて、バカにうれしかったの。

この子がもし有名になったら、この子も俺もすごい幸せに思うだろうなあって。

だから師匠でも何でもないの。

教えたこと1回もないんだもの。

テレビに出るきっかけをつくってあげただけでね。

でも面白いよね。僕を師匠みたいに言うんだもんね。

■子どもたちに僕が言ったのは、「みんなが右を向いていたら、とにかく1回は左を見ろ。

左にいいことがある。

たくさん人が集まっているところには運がない」とね。

それと「嫌だ」と思ったことも、とりあえずやってみた。

8年前、24時間テレビでチャリティマラソンのランナーになってくれ、と言われたときも、本当はすごい嫌だったの。

66歳という年齢ではキツイよ。でも嫌なことには運がある。

『人生の流儀』新日本出版社より

<引用終了>

欽ちゃんは、「損から入ると運が貯まる」と言います。

人とつき合うときは、率先して損な役回りをすると、だれかが幸運を持ってきてくれるからだと言います。

「運は遠いところからやってくる」という欽ちゃんの言葉も同じで、まわり道が一番近かったりします。

怒られたり、ひどい目に遭ったときも、一見すると「損」のように思えるし、「まわり道」でもあります。

でも実はそういう時が一番運がたまる時。

大事なことは、怒られたり、ひどい目に遭ったときに、どんな対応をするのか。

そこで、グチや文句や泣き言を言うのか、逆に感謝したり、ありがたいと感じるのかどうか。

神様は、そういう所をよく見ていらっしゃいます。

嫌なことには運があり、ひどい目に遭ったときに運が貯まっています。

神さまは、幸運を与える前に、まず不運と見える境遇を準備してくださるようです。

この欽ちゃんの言っていることは、沢山の方が同じことを仰っています。

美輪明宏さんも「正負の法則」、小林正観さんも。。。

今、理不尽なこと、ひどいことに巻き込まれている皆さん。

どうか勇気を持って下さい。

寒くて厳しい冬の次には

必ず、温かで穏やかな春が訪れます。

世の中は毎瞬毎瞬、変化を続けています。

そういう苦しい時こそ、くさらず 焦らずじっくりと、地中に根っ子を張るチャンスです。

そして、希望を持ってください。

そういう時は、もう目の前まで、春が来ているのですから。

私たちの人生は、苦しく辛く、耐えられないと思うようなものでも、必ず大丈夫なようにできています。

不運があれば、必ず同じだけの幸運が、例外なく巡ってくるようにできているのですから。

明けない夜など、ありません。