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今回は「いっぷくからありがとう」さんの2023年03月31日「大事なものは見えない」
と2023年03月24日「声なき声を聞く」の2つの記事を紹介します
「大事なものは見えない」
今日は「大事なものは見えない」ということで、
渡辺和子さんの「置かれた場所で咲きなさい」からご紹介します。
相手を立場や経済力などの外面だけで判断せずに、大切な一人の人間として認め合い、
助け合って生きていきましょうというお話です。
私たちは、この地球に働きに来た訳でもなく、お金をもうけに来た訳でもなく
地位や名誉を得て、威張るために来たのでもなく
大きな家に住み、大きな車に乗って自慢するためでもありません。
人と人、人と動植物
自分以外のありとあらゆるものと心の交流をするために、地球に来ました。
時にはぶつかり合うことも、罵り合うこともあるでしょう。
思いやりや、愛、笑顔によって心の豊かさを知る時もあるかもしれません。
それらは人生に起こる、様々なドラマによってもたらされます。
泣いたり、笑ったり、愛し合ったり、憎しみ合ったり
日々の生活の中で、すれ違う人々でさえ、大切なご縁のある方です。
<引用開始> 引用元
私の出身校である東京の武蔵野の私立の小学校には、当時の日本のトップリーダーの子女も多く通っていました。
入学してすぐ担任から言われたことの一つは、
「校門を通る時、男の子は必ず帽子を取って守衛さんに、先生にするのと同じ態度で挨拶しなさい」ということでした。
6年間、これを続けている間に、いつしか習慣になり、
これが一つのリーダー学であることに気付いたのは、社会を出てからでした。
土の中の水道管
高いビルの下の下水
大事なものは表に出ない
・・・・相田みつを
私が、今も職場で特に目立たない働きをしている人たちにあいさつするのは、
たぶん、小学校で身についたことなのです。
学生たちにも、
「お掃除や草取りしていてくださる人たちにごあいさつするのですよ」といっています。
「給料を払っているのに、挨拶したり、ありがとうという必要はないでしょう」
という若い教師も、いないではありません。
それは大きな考え違いです。
あいさつは、身分や立場とは無関係なのです。
特にあいさつしてもらうことの少ない人たちに、あいさつは、「あなたは、大切な人なのですよ」と伝える最良の手段であり、お互いが、お互いのおかげで生きていることを自覚し合う、かけがえのない機会なのです。
<引用終了>
目立たない仕事をしている人へのあいさつは、大切なことですね。
私たちはお互いに「おかげさま」で生きているのですから。
花を支える枝
枝を支える幹
幹を支える根
根は見えねんだなあ
・・・・相田みつを
私たちは、つい目立つ綺麗な花だけを見てしまい、それを支えている
根のことを忘れてしまいがちです。
ですが、最後の結果である、その美しい花を咲かせるために、
見えないところでどんなに大切な働きがあったことか。。
葉があり、茎があり、そして大切な根も頑張って働いています。
一世代前には、花を咲かせ種をつけ、朽ち果ててくれたからこその、今の命です。
人間も同じですね。
どんなにお金をかけて、飾り立てようと、どんなにその場だけ取り繕おうと、
どうしても見えない人間性というものが染み出てしまいます。
人間にとって根っことなるのは
・相手を思いやる気持ち
・笑顔
・感謝の気持ち
・お陰さまの気持ち
・助けいあいの気持ち
これらで、日々どれだけ生きていたか・・に寄るのかもしれません。
どんなに地位や名誉、お金を得ようとも、おごり高ぶらずに、
目立たない人や、弱者に対する共感は大切なことです。
ちゃんと相手を認め、相手を尊重し、差別せず、大切な一人の人間として
接する心を持ちたいものですね。
「声なき声を聞く」
臨死体験をきっかけに、神さまを見て、声を聞き、正しく人生の目的を知り、
そしてその後の人生で、多くの方の精神性の向上(心の浄化)のために
働いていらっしゃる方が沢山いらっしゃいます。
今日はその中のお一人である、鈴木秀子さんのお話をご紹介します。
鈴木さんは、日本近代文学を専攻する聖心女子大学の教授で、聖心会のシスターでもあります。
「死にゆく者からの言葉」など沢山のご著書もあります。
『自分の花を精いっぱい咲かせる生き方』
(致知出版社)が出版された直後のインタビューです。
<転載開始> 転載元
インドにある「死を待つ人の家」を訪れたある神父が、現地でマザーテレサに出会った時のお話です。
神父はボランティアとしてインドの現地に赴き、風呂に入れた病人をバスタオルで受け止める役目を担いました。
しかし当初は、やせ細った病人の体に触れることはおろか、
怖(お)じ気づいて後ずさりしてしまったのです。
その様子を見かねたマザーは、彼の代わりに病人を受け止め、優しくその病人に語り掛けました。
「あなたは大切な人です。
あなたは神様から許されて、愛し抜かれています」
死人同然の彼は、うっすらと目を開いてほほ笑んだそうです。
鈴木秀子さんは、このストーリーをこう締めくくっています。
「マザーが死にゆく男性に施したのは、何も特別なことではありません。
一人の人間として敬い、神様から愛されていることを祝福した、それだけのことです。
しかし、そのひと言は、苦しみと絶望の間をさまよっていた男性には、
何よりの喜びであり、力となるものでした」
小さな良いことが、やがて良い人生につながるのです。
周りの人々と小さな心の交流を重ね、人を敬って生きていくことに
大きな喜びを感じる人生こそ 「良い人生」なのだと、
マザーの行いを例に鈴木秀子さんは仰います。
また、マザー・テレサが1984年に来日し、シスターが教鞭(きょうべん)をとっている
聖心女子大学を訪れた時のあいさつについても触れられています。
「日本では路上で生き倒れて死んでいく人、
膿(うみ)にまみれてハエにたかられている人はいません。
しかし日本を歩きながら、大変なショックを受けました。
街はとてもきれいだし、とても賑(にぎ)わっているのに、
その街を歩く人たちの顔に笑顔がないのです。
皆さんの悲しそうな顔が心に焼き付けられました。
寂しい思いをしている日本人たちには、ちょっとした言葉をかけてあげてください。
温かい笑顔を見せてあげてください。
それは私がインドで貧しい人々にしているのと同じことなのです」
こう話すマザーに、日本への思いの深さと、愛に満ちた生き方、
信仰を貫く姿勢を鈴木秀子さんは見て、改めて感動したと記しています。
<転載終了>
日本は先進国と言われ、豊かな国であるのに、
・人々の顔に笑顔が無い
・悲しそうな顔をしている
・寂しい思いをしている人が沢山いる
まさにそれはインドの貧しい人たちが、誰にも顧みられることもなく、寂しさの内に、
人生と神を呪い死んでいく姿と同じではないか?
そう、仰ったのです。
それは自分以外の者への関心の薄さ、無関心に寄るものです。
愛が欠如しているからです。
その結果が、インドのスラムで孤独の内に、人と神を呪い死んでいく貧しい人と、
日本人の心を同じものにさせてしまったのです。
皆さんはどうでしょうか?
カルカッタのように生死に関わることはめったにないかもしれませんが、
こんな小さな声、叫びを聞いたことはありませんか?
「寂しい」「助けて」
これは声なき声、単なる小さな波動かもしれません。
ですが、いま確実に世の中に、この小さな叫びが増えています。
生活やお金に追われ、必死に生きている私たちにも、最初は聞こえていたかもしれません。
でも、いつしかそれは、忙しく動き回る私たちにとって,社会の中で、単なる生活音でしかなくなり、気にも留めず、気付くことすらなくなってしまったのかもしれません。
そしてその小さな叫びを発した人達は、誰にも顧みられず、孤独の内に生き、
エネルギーのある者は、やるせない気持ちを爆発させ、
エネルギーの無い者は、ひっそりと命を閉じるのかもしれません。
でも、私たちにも耳を澄ませば、「寂しい」「助けて」と言う声が、
家族や友人、目の前に居る人そんなすぐそばからも、聞こえてくるかもしれません。
その声が聞こえたら、どうしますか?
マザーはこう仰いました。
ちょっとした言葉をかけてあげてください。
温かい笑顔を見せてあげてください。
まずは、自分の目の前に居る人に対し、笑顔で、優しい思いやりのある言葉を
かけて差し上げたいものです。
その笑顔と優しさは、今度は受け取った人を介して、またそこを拠点に広がって行きます。
どんどん笑顔と優しさの連鎖が、あなたの最初の行動をきっかけにして始まります。
そしてその愛のエネルギーは循環を繰り返し、必ず何倍にもなって自分に帰ってきます。
どうか目の前の方に笑顔で、優しい思いやりのある言葉をかけて差し上げてください。